悲劇のヒロインになりたくない

「明日死んでしまうとして、何がしたいだろう」

通勤中の車のなかでふと思ったので、考えてみる。

1年前の私は、いや、私という人間は一度決めたこと、好きになったことはとことん突き詰めて満足のいく完成度になるまでがむしゃらになるのが好きだったと思う。だから毎日「いま死んだら心残りがありすぎて成仏できない!」と思っていたし、実際そんなことをよく言っていた。やりたいことも成し遂げたいことも、行きたいところも食べたいものも、見たいものも会いたい人も、それはそれは沢山あった。

でも、今日は特に何も浮かばなかった。かつて「死ぬまでに絶対!」と思っていたはずのことが、何も出てこなかった。「まあいいか、それも人生」が今日の答えだ。その後、まだまだ健在の祖父母や両親に何も孝行できてないなあ、とか、職場には多大なる迷惑がかかるな、子どもたちには多少ショックを与えちゃうかなとかそんなことを思った。

別段、希死念慮があるわけではない。そのはず。痛いのも苦しいのも嫌だし。そんなことで、周囲の人に迷惑かけたくないし。

でも、「まあいいか、それも人生」と思った。毎日必死に生きて、そんな人生に満足しているからそう思うんだ。それならいいじゃないか。前の自分がポジティブすぎたのだ。悔いなく生きてるってことだ。いろいろ考えたが、どれもなんだかしっくりこない。

そして気が付いた。本当は、「まあいいか」じゃなくて「どうでもいいか」と思ったんだ。健康な身体で、家族や友人に恵まれ、昔から夢だった職に就いて、素敵な人に囲まれて働いて、好きなことをしてお給料をもらって、そんな幸せな日々を送っているはずなのに、「どうでもいい」と思っている自分に気が付いてショックを受けたようだ。あまりに贅沢な自分に失望である。

とはいえ、ここでぐるぐると立ち止まっているのは嫌だと思う自分もうっすらいるわけで。なので、なんで自分がこんなことになっているのか解明したいと思う。そしてまた、「死ぬまでに絶対!」を思い出していきたい。

そんなわけで、残念な自分の心と頭のなかを解明するため、ちょこちょこと書き綴っていこうと思う。

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