偏差値39の落ちこぼれが最難関大に合格して人生を逆転させた物語

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これは学年一の落ちこぼれであった私が、最難関大に合格するまでの話である。受験生と受験生の親にはぜひ読んでいただきたい。

1. 物語のあらすじ

 受験を始めたときの私の成績は最悪であった。学年最下位は当たり前。Z会模試で全国最下位近くを取ったこともあった。しかし、当時の私はそんな落ちこぼれ人生でも満足していた。家族、友達、部活、そして大好きな彼女に恵まれ、毎日楽しい日々を送っていたからだ。

 しかしある時、その幸せすべてが音を立てて崩れ去った。それはちょうど、私が受験勉強と本気で向き合い始めた頃である。それ以降、私を取り巻く環境はどんどん悪化していき、最終的には学校にも家にも私の居場所はなくなっていた。幸せだった毎日が、一気に地獄の日々へと変わった。それからは、何度「死にたい」と思ったか分からない。

 そんな私が、どのようにして理工系最難関大に合格したのか。地獄のような環境に追い込まれた私が、すべてを手に入れるために挑んだ人生逆転ゲーム。これはその一部始終を記した物語である。

※すべて実話ですが登場人物は架空の人物です。

2. 受験開始時の成績状況

受験開始時の私の悲惨な成績に関しては、以下のブログにまとめているので、ぜひご参照いただきたい。また、短期間の独学で偏差値を30上げる勉強法についても紹介しているので、偏差値を大幅に上げたい方は必見である。

3. 物語の始まり

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---------------高校二年生 10月下旬---------------

すこし肌寒さを感じる秋の朝。私は寒さで目を覚ました。

”くそっもう少し寝れたのにもったいない…”

後悔しながらも、私の心は高揚していた。なぜなら、今日は高校生活最後の運動会。つまり、高校の思い出を作る一大イベントの日なのだ。

私はいつも通り制服を着て、髪をセットした。そして学ランを羽織り、リビングに向かって一言。

「じゃ、行ってくる!今日もしかしたら学校終わりに友達と遊びに行くかもしれないから、帰り遅くなるかも!」

リビングの奥から、聞き慣れた母の声が返ってくる。

「行ってらっしゃい。あんまり遅くならないようにね。」

私はいつも通り、母の見送りを背に学校へ向かった。私の家から学校までは自転車で45分かかる。しかし、運動会が楽しみで仕方がないせいか、その日は35分で学校に着いた。

気持ちを高ぶらせながら教室へ続く階段を上がっていく。教室に着き、扉を開けると、後ろから聞き慣れた声がした。

「お前今日めっちゃ髪キメてんじゃん!やっぱ彼女いるやつはちっげーな(笑)」

このいかにも ”彼女いない歴=年齢” のようなイジリ方をしてきたのは、東光輝 という男だ。私の高校は中高一貫校で、この男とはずっと同じクラスだった。いわゆる ”腐れ縁” というやつだ。

「お前、相変わらず生涯彼女ができなさそうなイジリ方してくるな。うらやましいだろ!!」

私も全力で同レベルのイジリで返した。今日が運動会ということもあり、お互いにテンションが上がっているのだ。東とこんな他愛のないやり取りをしていると、急に耳元で声がした。

「おい、T・K がお前のほう見てるぞ。たぶん、日直だから黒板を消さないといけないけど、上のほうが届かなくて困ってるんだろうな。彼氏なら助けたれ(笑)」

このいいやつ風な助言をしてきたのは 朝比奈孝明 という男だ。この男はガキ大将的な存在であり、いわゆるジャイアンのような男だ。強引で自分勝手なところもあるが、一緒にいるとワクワクするような存在だ。

朝比奈に言われて動くのはシャクだったが、黒板のほうを見てみると、たしかに T・K が困っていた。ちなみに "T・K" というのは私の当時の彼女である。

彼女は 鶴橋瑞希 という名前なのだが、なぜか 朝比奈 がつるはしみずきをイニシャルとしてアルファベット化し、T・K と呼んでいた。

私は、黒板の上のほうが届かずに困り果ててこちらを見ている T・K のもとに歩いて行った。

すると、後ろから歓声があがる。

「ヒューーーー!!」

このブブゼラ的役割の男は 内村泰介 という男だ。彼は朝比奈の腰巾着のような男で、いつも朝比奈の一歩後ろを歩いている。いわゆるスネ夫的な存在だ。

「ありがとうみんな、いってくる。元気でな。」

照れくささを隠すために、私はすこしふざけて返した。高校生ということもあり、周りから見られているなかで彼女と話すということに照れくささを感じていた私は、T・Kの持っている黒板消しを無言で受け取った。そして、黒板の上のほうをきれいに消してすぐに立ち去ろうとした。

すると、T・Kの口から照れくさそうに一言。

「ありがとう...助かった...」

その仕草のかわいさに癒されながら、私は朝比奈たちのもとへ戻った。

それからしばらくして、担任の泉山が教室に入ってきた。

「みんなおはよう!今日は待ちに待った運動会だね。頑張って1位を目指してほしいところなんだけど、くれぐれも熱中症だけには気を付けて。水分補給はしっかりしてね。」

運動会ということもあり、泉山も少し浮かれているように見えた。白のポロシャツにジャージのズボン、麦わら帽子にタオル。完全に休日のお父さんスタイルだ。

すると、後ろから声が聞こえた。

「この涼しいなか、熱中症になるやつとかいないだろ(笑)」

この揚げ足とりは朝比奈である。しかし、これには私も ”たしかに” と思った。

「そういうお前みたいなやつがたいてい一番最初に熱中症になってしまうから、ちゃんと気をつけろよ(笑)」

さすが泉山。だてに半年間このクラスを受け持っていない。しっかりと朝比奈の揚げ足とりに対応している。

こんなしょうもないやり取りの毎日だったが、私はこの他愛のない平和な日常が大好きだった。このころは毎日が楽しくて仕方がなかった。

そして楽しみだった運動会も、7クラス中3位というなんとも中途半端な順位で終わり、高校二年生のイベントは終了した。

4. 志望大学決定

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---------------高校二年生 11月上旬----------------

楽しみだった運動会も終わり、周りは一気に受験モードに入った。周りの会話は、なにげないイジリ合いやゲームの話から一転して、志望大学の話になった。

「お前どこ受けるの?まあ受かるところないと思うけど(笑)」

この嫌味な質問をしてきたのは朝比奈である。

"お前もな!" と言い返してやりたいところだが、朝比奈はガキ大将のような男のくせに意外と頭が良く、成績も学校内では上位だ。

「それな。まあどっかあるだろたぶん(笑)」

私は朝比奈のダル絡みを適当に返した。当時の私は、成績も悪かったうえに、"まだ受験勉強はしなくても大丈夫" と思っていたため、志望大学を決めていなかった。

「俺もやばいけど、小野村もかなりやばいと思うぞ。あいつ、親が開業医なのに子供全員が見事に成績悪いしな(笑)」

私はこれ以上矛先が自分に向かないように、小野村を犠牲にした。小野村孝太郎 は高校二年生になって初めて同じクラスになった男である。一緒にいた期間はそれほど長くはないが、なぜかとても仲が良かった。

そしてなにより、彼も私ほどではないが成績が悪かった。それもあり、お互いに傷をなめ合う意味で仲が良かったのかもしれない。

「うるさいなぁほっとけよ。てか俺いま関係なかったじゃん(笑)」

とばっちりを受けた小野村はダルそうに笑いながら答える。その自信のなさそうな小野村の受け答えに、私は仲間意識を感じて安心していた。

しかし、小野村は少なくとも志望大学は決まっている。一方で、私は志望大学すら決まっていないうえに、やりたいことも特になかった。それでもなんとかなると思っていた私は、そのまま志望大学も決めずにいつもと変わらない日々を送っていた。

ところがある日の休み時間、担任の泉山に職員室に呼び出された。

「お前、このまえの志望校調査票、なにも書いてなかったけどどこ行くつもりなんだ?」

前回の志望校調査を白紙で提出した件で呼び出されたのだ。

「まだ今のところ決まってないです。そのうち行きたい大学とか出てくると思うので、見つかったら言います。」

まだ行きたい大学が決まっていない私は、あいまいな返事をしてその場を濁した。

そのまま教室に戻ると、教室の雰囲気が今までとすこし違った。今までのような賑やかな雰囲気とは一変し、休み時間でも机に向かって勉強している人が増えたのだ。

そんな中でも、小野村を含む成績が悪い組は机に突っ伏して寝ていた。最初は教室の雰囲気の変化に不安を感じていた私だが、その光景を見て一気に安心した。

しかし、とはいっても志望大学すら決まっていないのはこの教室で私だけである。さすがの私も ”このままではまずいな” とすこし思い始めていた。だが、私は志望大学の決め方すら分からなかった。そこで、大学の情報に詳しい同じクラスの友達にお願いをして、自分に合った大学を選んでもらうことにした。

「なあ渡部、俺の志望大学を代わりに選んでくれないか…?」

渡部亮介 はこのクラスの委員長である。彼は勉強も運動もでき、面倒見がよくて友達も多く、みんなからの人気者だ。私も彼が好きだった。

「おう、いいよ!どんなところに行きたいの?」

渡部は快く私のお願いを聞き入れてくれた。

「ん~...。国語が苦手でも行けるところがいいかなぁ。」

私は昔から国語がとても苦手だった。まず、活字を見ると眠くなってしまう。そして、そもそも文章を読む速度が通常の人の2倍ほど遅かった。そのため、小さい頃からそれなりに好きだった理系がメインの大学を探してもらうようにお願いをした。

「芝浦工業大学とかどう?工業大だから理系科目に特化してるし、今のお前の成績でも1年間本気で頑張れば多分行けるから!」

私は渡部に提案してもらった芝浦工業大学の詳細を見てみることにした。

大学ホームページ、センターランク、そして二次偏差値を確認して私は感じた。

”うん、悪くない。やってることもなんだか楽しそうだし、なにより1年勉強すれば俺でも行けるかもしれない”

こうして、私は芝浦工業大学を第一志望大学に設定した。

第一志望大学も決まったし、一旦は不安の種がなくなったはずだった。しかし、どこか私の中でまだモヤモヤが残ったままだった。

私は今までほとんど勉強をしたことがなく、成績も最底辺だったのだが、なぜか妙な自信だけはあった。

”俺はやればなんでもできる。本気を出せば今からでも東大に行けるかもしれない!”

本気でそう思っていた。完全に過信というやつである。しかしこの根拠のない過信が、私のモヤモヤの原因だったのだ。

そして、根拠のない過信をモチベーションに、私は志望大学を選びなおすことにした。今度は渡部には相談をせず、自分で大学受験四季報を確認した。

”1位は東京大学、まあそりゃそうか。2位が京都大学、これもさすがに知ってるな。"

"3位は…...東京工業大学?なんでこんなよく分からない工業大学が上位に来てるんだ。”

この当時、私は東京工業大学(東工大)を知らなかった。私だけでなく、世間一般的にも知名度が低いため、周りの友達も知らなかった。

聞いたことがない大学が上位に来ていたこともあり、私はなにを思ったのかこう感じたのだ。

”これ、何かの間違いで上位に来てるだけだろ。頑張れば俺でも行けそう”

これが地獄の生活スタートの初めの第一歩だった。

このような軽い気持ちで、私の第一志望大学を東京工業大学(東工大)に決めたのだ。

次回予告

無事に志望大学が決まって安心していた私。しかし、この頃から徐々に幸せな日々が変化していった。壊れ始める関係、突然襲ってくるなんとも言えない不安感、絶望的な成績状況。

変化していく環境の中で、私の行動はどのように変化していったのか。

「偏差値39の落ちこぼれが最難関大に合格して人生を逆転させた物語(第二話)へ続く





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