読書メモ #1(『日本語 表と裏』)

今回は、『日本語 表と裏』読了メモとして、日本人の特徴を想起させるトピックスを抜粋して紹介する。

よろしく

「よろしくね」というのは何をどうすることなのか。日本人にとって「一を聞いて十を知る利発さ」を相手に求めることが相手を尊重する心遣いである。つまり日本人は、明確な言葉を使うことは相手が何も知らないと決めてかかるようなことだと思っている。外国語にも訳しにくい、行間を読んでほしいとする日本人の性格も反映されていそうである。グローバルコミュニケーションにおいては物事をはっきりと明確に伝えることが重要視されている。日本人の英語は…と言われてしまうのも、こういった側面にもよるのだろうか。

やっぱり

風土的背景(四季の中で日本人は、常に予想や予感と共に生きてきた。)と社会的背景(世間一般の人が思っているように)が背景にある。とくに後者は日本がいかに同質社会で世間を意識した国であるかを表している。

わたし

個人は単独に存在するのではなく、つねに世間でほかの多勢の人たちと色々な人間関係の中で生きる、という日本の文化が根底にあり、それゆえ一人称も人に応じて様々である。わたし、わたくし、ぼく、わし、おいら、…対人関係に応じて使い分けるのは、それだけ人間関係を気にする国民性ということなのかもしれない。(英語は「I」のみ)

あげくの果て

日本古来の文化である連歌、連句にルーツがある。「あげく(挙句、揚句)とは36のやり取りが終了する最後の句を指すが、この連句の文化は今では座談会に残っていると筆者は説く。座談会も連歌、連句も一つ一つの発言や詩句に解釈の自由を発見して、それを興味の中心に据え、集団(複数人)によって共同制作される点で共通している。連句から独立した発句が俳句として残ったとか。

意地

「意志」は個人のものであるのに対して、「意地」は「男の意地」「王者の意地」など集団に共通したものである。日本人の画一志向がこうした単語を残したと考えると趣深い。筆者は「小さな島国でみんなが仲良く暮らすためにはどうしても自分の意志をひかえ、みんなに同調せねばならぬ」といった和の精神を例に挙げるが、あながち間違っていないように感じる。


このほか「ざっくばらん」「どうも」「いい加減」といった日本語らしい言い回しが多数散りばめられているが、また時期を異にして読むと違った味わい方ができ、そこに日本の文化のルーツを見出すことができると期待している。


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