雑感メモ #2(意味について #2)

意味についての雑感メモコーナー。

意味を(あらかじめ)与えることについて

ここでは、「デザインとはものの意味を与えることである」に関して学んだことを振り返ってみたい。

昨今このデザインの対象が広がっており、モノだけではなくコトに対してもより深い意味をもった何かを創り出していくことが、商品開発の場で言及されるようになっている。これはインサイドアウト型のアプローチであり、自ら意味を創り出すという点でオリジナリティが出るものとして注目されており、アウトサイドイン型のアプローチであるデザイン思考と対をなすものとされている。これら一方に偏りすぎるのではなく、検討の過程で往復させることの重要性も説かれている。つまり常に2軸持ちながら、往復を経てバランスよく意味を醸成していくことにより、双方の良い要素を両立させることができる。

これを例えば結婚式の乾杯挨拶に置き換えて考えてみる。

相手にどのような時間を過ごしてもらいたいか?といった相手の解釈を探求し準備をするのがアウトサイドインのアプローチであり、その過程で自分自身がどうありたいか?といった自分の在り方を探求し準備をするのがインサイドアウトのアプローチである。前者は、相手に喜んでもらえるような、ポジティブな文脈を想像してスピーチコンテンツを組み立てていくことに他ならない。後者は、自分らしく、例えば自身であれば「ウケは狙わず、自身の強みである真摯らしさという印象と、短い文脈の中からメッセージ性のある想いを簡潔にストレートに伝える」といった具合に、前述の文脈に載せていく。こうした要素を組み合わせることにより、相手の立場に立ったコンテンツを、オリジナリティある文脈で提供することが可能になる。

後者の意味付けについては、行動を起こす前に構想化できている場合もあれば、後から振り返った時にはじめて意味付けされる場合もあると感じている。今回取り上げた振り返りは主に前者の方を指しているが、後者についても考察してみたい。

意味を(あとから)与えることについて

前述の内容が意味を予め与えることについてであったのに対して、ここでは意味を後から与える、後から意味付けすることについてメモしたい。

後から「あの経験は自分にとってこんな意味があった」といった場合、自身はその経験の最中に意味を明確に認識できているとは限らない。予めなりたいゴールや目的があって体験、経験しているのではなく、やってみたらみえてくるものがある、やりながら何かを発見していく、やっているときは気づかなかったが後から振り返ると意味や意義に気づく、といった具合で体験や経験の意味を振り返りを通じて解釈していくのである。

このアプローチの面白いところは、「やってみないと意味に気づかないことがある」ということである。人は多くの経験を重ねるごとに解釈のパターンを徐々に取得していき、ある物事を見た時にそこから得られる意味を予測しがちだが、インプットによっては予測が外れ、自身の解釈のパターンと異なる解釈が引き出される可能性がある。例えば、対話型鑑賞では複数人が同じ作品を対象に対話することで、自身の解釈パターンを異なる解釈があることに気づき、作品の見方が変わり、またその過程を内省することにより経験の意味に後から気づくことがある。

このようなアプローチを学びに活かすためのワークショップも世に存在している。感情や構想をかたちにする創作、ごっこ遊びに代表される真似、日常を違う文脈でみる探検、概念から別の概念を結びつける連想などといった要素をワークショップに取り入れる事例を見たことがある。やってみないとどのような意味が生まれるのかが予め見えづらい性質があり、日常業務の性質との相性は何とも疑問が残るものの、リフレクション/内省による発見や気づきが促される点で注目すべき活動であり、自身は非業務時間の中でその意味を考えていきたいと思っている。

何でもかんでも意味を予め決めつけて、「これはあまり自分にとって意味がなさそう」と切り捨てるのではなく、「よくわかんないけど(後から意味が見つかるかもしれないから)とりあえず楽しんでみよう」くらいで物事に取り組む姿勢は、時間ならぬ「自間(とにかく無駄なハズレ時間を最小にして、自分の時間/裁量軸に社会を引き寄せたいとする時間に対する考え)」が当たり前の昨今、大人になっても残しておきたいものである。

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