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周りのサポートのおかげで今の自分がある。

今日の締めの記事は、1人称を「おいら」にして、書いてみようと思う。実家ではいつも、おいらはね〜と言っている。もうかれこれ、おいらと言って20年ぐらい経つだろうか。

そんな、おいらは5ヶ月前、鬱病になった。
理由は様々あるが、鬱と申告されたときは特に感情もなく、鬱か〜程度だった。でも、その日、病院から家に帰る途中、何か泣きそうだった。
おいら、鬱か。しかも中程度か〜。

親には素直に病名を告げた。
「おいら、中程度の鬱だって」と。
そしたら、親は「そっか、大変だったね」と多くを語らず、気丈に振る舞ってくれた。

恐らく、当時の親の心境としては、「心配」の気持ちが大きかっただろう。元々、身体も強くない、おいらが鬱になったんだもん。
きっと気が気じゃなかったと思う。

でも、そんな時、運良く友だちが家の近くに居たので、ほぼ毎日の様に、おいらの家に来てくれた。
今思うと、凄くありがたいことだ。
だって、わざわざ、交通費をかけて面倒を見にきてくれてたんだもん。

でも、友だち曰く「お前を1人にさせておくのは、心配だ」と。
それもそうだろう。当時は毎日のように「死にたい」と言っていたからだ。

ある日、カラオケに行った帰り道、おいらは突然「死にたい」と連呼していた。
友だちは、それを真横で聞いていたので、「おいおい、そんな事言うなよ。」と。

その友だちとは、もう6年の付き合いになる。
大学生時代の、明るい、おいらを知っているが故に、友だちも心配だったのかな、と今になって思う。

そんな、おいらだったが10月中旬には、親が来てくれて、面倒を見てくれた。1日中、家に篭りっきりの日もあったが、特段何を言うわけでもなく、一緒に居てくれた。飯はいつも買ってきてくれたし、何も不自由する事はなかった。
そして、10月下旬、療養の為、おいらは実家へ帰った。

地元へと戻り、気分も落ち着くかな、と思ったがそうでもなく、やはり辛かった。
でも、以前お世話になっていた少年野球チームの監督や、総監督、色々な方に会い、お話をした。
みんな口を揃えて言ってくれたのが、「無理するな」「いつでも帰って来い」と。

地元にいる幼馴染も「なんかあれば言ってな!」と、直接声をかけてくれた。

また、本州にいる大学時代からの友だちは、「飯行くぞと」誘ってくれて、道中、車内では話を沢山聞いてくれた。そして、身体壊してまで仕事するなよ、とだけ言ってくれた。
その一言に、救われたんだ。
そうだよな、身体壊してまで仕事ってするもんじゃないよな、と。

おいらが常々、口にしていた事だったが、おいら自身がそれを見失っていたんだ。
だから、気が付かせてくれた友だちに、感謝している。

今となっては鬱の症状も幾分和らぎ、普段通りの生活を送れている。
脳が正常に機能してくれているのだろう。
最近、気がついた事は「周りの人に恵まれている」という事だ。

おいらは凄く幸せ者だ。
だって、これまで関わってくれた人たちが、みんな救いの手を差し伸べてくれたからだ。
決して1人にならなかった。
地元にはもちろん、家族も友人もいる。
だから、凄く安心できた。

北海道に居た頃は、友だち、同期、職場の先輩がいた。
なんて、恵まれているのだろう。

今、こうしてnoteの記事を書けていることさえ、鬱になった当時は想像もしていなかった。
なんなら、ペンも持てなかったし、読書もできなかった。

それが今ではどうだ?
noteの記事は書けるし、本は読めるし、人と話すのは楽しいし。

すごい事だと思う。

周りのサポートのおかげで、ここまで戻れた。
そしえ、noteの記事を読み、コメントを下さる読者の皆様にも、支えられている。

こんなに幸せな事はない、と思う。
おいらは、今、最高に幸せ者だ。
金はないけど、人がいる。
辛くなったら頼る人がいる。
そんな、今の状況がすごく幸せで、有難い。

サポートしてくれる方々のおかげで、今日も明日も明後日も、これからも幸せに生きていけるでしょう。
ありがとう😊

あ、でも頼りすぎないで、たまには人の事を助けたい。
そんな思いを胸に、また明日も良い日になると、信じて。

長い文章になってしまいましたが、最後まで、お読みくださり、ありがとうございます。
改めて、これからも皆さん宜しくお願いします!
それでは、また!

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