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働くことと人生と、再出発に寄せて。

1.

 鍼の先生が5月で治療院を閉めることにした。新型コロナの影響を受けて、事業を往診スタイルに切り替え、勤務と掛け持ちにするのだという。

 わたしはその話を聞いたとき、ほっとした。安心した。ものすごく「筋合いじゃない」ことではあるのだが、わたしは自営業の男が資金繰りに行き詰まるという事態の発生が、怖いのだ。それを何とかする責任と義務を、こちらが巻き取らなきゃいけないような気持ちがしてしまう。先生とわたしは治療者と患者の関係なので、実際何の責任も義務も発生しないわけなのだが、今回そんな気持ちが沸いたことで、ああ、ああいうの相当トラウマになってんだなあ、と改めて思った。ああいうの、というのはつまり、元夫や元彼氏との間に起きたこと、ということだけど。

 先を見越し、こだわりを捨てて身を処すことのできる人は、強いと思う。例えば起業した人が事業を畳むようなとき、バカにする人や批判する人は必ずいるだろう。けれど、いざというときにあれやこれやのこだわりやプライドを振り捨てて、肩書のない一個人に戻れる人は、ほんとうに強いと思うのだ。多分、元夫はそういうことができなかった。

 多分、元夫はそういうことができなかった。失踪するくらい追い詰められたとき、覚悟を決めて店を畳んで債務の整理をすることも、社長、と呼ばれる立場から余所で働かせてもらう立場に戻ることも、嫁のせいにして責めるのではなく自分の責任に向き合うことも(わたしの次の三番目の奥さんがそのとき彼の元にいたのかどうか、はっきりわからないが)。彼があんなにも嫁が働かない働かないとなじったのも、結局は、自分が何とかしないと何ともならないということに向き合えない、弱さのせいだったのだろう。

 元彼氏のことも思う。彼の小売店も今、経営が苦しいだろう。彼は他人に無料でするっと甘えるのが上手い人だったが、彼の苦境に本腰を入れて助けてくれるような人は、周りにはいないだろう。なぜなら、彼は誰かの苦境に本腰を入れて助けるような関係を、作らなかったからだ。損をせずに付き合える限りは付き合う、というスタンスでここまで来たからだ。まだ借金もあるし、引退はできない。今からどこかの働き口を自分で見つけることも、誰かに紹介してもらうことも難しいだろう。優柔不断だから、店を閉める決断もネット販売にスイッチする決断も、なかなかできないだろう(でも意外と、するかな?できないだろう、というのはやっぱり、わたしの願望かな?)。

 彼らと一緒にいたら、わたしは彼らの焦りや不安やストレスを吸収せざるを得なかっただろう。まるで自分の責務のように、何とかするよう暗に明に責め立てられたことだろう。男が弱音を吐けない、なんてことはない。男は簡単に弱さを出し、すぐ傍にいる女に甘えて負担を載せ替える。

 先日わたしの仕事もいったんゼロになったが(ライターの仕事もアルバイトも)、何かはどうにかなりそうだ。わたしにはやりたい「こと」はあるが、属したい「場所」もなりたい「名前」も、大してこだわりはない。多分、離婚して全部ゼロから始めたとき、こだわりなんかどうでもよくなったのだ。ゼロだったときのことを思い出せば、どんなところにいてもあのときよりはプラスだ。

 お互い頑張りましょう、と先生が笑い、治療院を辞した。あたたかい、春だ。

2.

 一度仕事がゼロになって、そこから収入源を確保する手立てを講じていたわけですが、このたび就職が決まりました。5月から、とある機関で働きます。女性相談の仕事に従事します。

 就職の理由や経緯については、いくつかあります。

 ひとつには、ライターとして記事執筆の仕事を重ねるごとに、少しずつ違和感や物足りなさが募ってきた、という背景があります。記事を書く、という仕事についてわたしは、文章を通じて女性を元気づけジェンダーの思い込みを問い直す、といった気概(!)で取り組んできたのですが、だんだん現場の実践から遠ざかっていくような感覚がありました(わたしはもともと地方の結婚支援事業の現場、つまり何というか、老若男女いろんな立場の人々のジェンダー観と思惑が交差する場にいたのです)。

 さらにメディアの関心事や記事のソースとなる研究・データは、どうしても東京を中心とした内容にならざるを得ず、やっぱりわたしは、地元のローカルな問題に取り組みたかった。ローカルな差異は取るに足らないもののように見えて、実はもの凄く無視できない要素なのではないかと、ずっと思っています。そのため少し前から、地元で具体的に取り組むことのできる仕事はないか、探したり応募したりしていました。

 もうひとつはやはり、執筆の仕事がいったんゼロになる、というタイミングによるものでした。そこから「①新規執筆先を探す②フルタイムでの就職先を探す③ライター業の補完としてのバイト先を探す」の3本立て同時進行で動き、どういう方向に転んでもいいように布石を打って行ったのですが、幸運なことに、やりたい分野のお仕事、フルタイムの就職先を得ることができたのでした。ライターとしてのお仕事も、スローペースながら並行して続けるつもりです。

 働く、ということにはいろいろな考え方があって、例えば人によってはどこの会社に入るかだったり、何になるかだったり(医師や看護師や公務員や花屋さん、や。ライター、も多分そうですよね)すると思うのですが、ここまで来て振り返って、わたしにとっての働くということは、「何をするか」だったのだなあと思いました。文章を書くことは好きですが、書くことは一種の手段であり方法であって、「ライターになる」ことが目標ではなかった。ライターになる前、結婚支援事業をやっているときも、ライターをやっているときも、今もこれからも、所属や形や手段は変化しても、やりたいことは変わらず同じでした。そして10年先20年先に至っても、所属や形や手段はどんどん変化して構わないのだと思います。

 わたしは、同じ企業にずっと勤めて確実に昇進するだとか、スペシャリストとして専門性を武器にキャリアを積むだとかいうようなことが、できませんでした。就職氷河期だとかそういうのに関係なく、新卒時にちゃんと就職活動をしなかったバカですし、小説家の夢を追いかけたせいで、小説家にもなれないけど無能、みたいなことにもなりかけたし、突然の思い立ちで結婚して車屋になっちゃって、さらに離婚して貯金もゼロからリスタートしたりもした。それでも40代半ばの今になってみると(アラフィフですよ、嘘みたいだけど!)、今までやってきたことは全部繋がって、全部今に生きていると思うのです。

 新型コロナが世界中の経済に影響を与え、この先わたしたちが働く世の中は、どのようになっていくのかさっぱり確信できません。仕事がなくなってしまった人も、新卒で内定を失ってしまった人も、これから就職活動で不安しかない学生さんたちも大勢いるでしょう。でも、何かひとつがダメになってしまったからといって、すべて終わりなわけじゃない。所属や形や手段はどんどん変化しても構わない。やりたいこと、の優先順位も下げて、当面は食いつなぐことだけ考えて潜伏してもいい。

 無節操に見えても、どんどん変化して構わないと、わたしは思うのです。そして本当にやりたいことは、食うため生きるために別のことと格闘していたからといって消えてなくなるものでもないし、結局はその別のことすら、本当にやりたいことの栄養に変わるんじゃないかと思います。

 わたしは飽きっぽいところがあって、所属や形や手段については、わりと2~3年で次に行ってしまったりします。でも、その完成形、みたいなものは、20年30年スパン、60歳とか70歳くらいになったときに「結局こういうところに行き着きましたか~!」と自分で感服するくらいでいいか、と思っています。不確実なことや変化を余儀なくされることは、そこまで怖いことじゃない。不確実にあっち行きこっち行きしながらここまでやってきたわたしは、そういうふうに思います。


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1.「春は、再び出発する季節だ。」(2020年3月)
2.「再び出発する春の、続き。」(2020年4月)

※エッセイ集『あれは、赤い花。』(2021年6月発行)より抜粋、一部編集


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