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明日天気良いといいね

2024年が始まって、今日でもう1ヶ月が終了するらしい。

年明け早々、仕事で新規案件が始まったために週1休みで残業80時間の生活。体感は一瞬、ただし疲労感は3ヶ月分くらいたまっている。

思い返せば、去年の5月頃から多少の変動はあれど大体隔月くらいで上記のような生活をしている。

自分はストレスが溜まると、その全てを食欲にぶつけてしまうタイプだということを知った。忙しくなった時、気持ち悪くなるまで食べ続けないと眠れないような状態が、もう生活のうちの一習慣と化してしまった。

どんな音楽を聴いてもピンとこないと思う回数が増えた。
なんとなくキラキラサウンドのヒットチャートで耳を塞いで、
気を抜くと仕事の不安感でいっぱいになってしまう思考回路にノイズを流している感覚だ。

そして、一人になると泣いてしまうようになった。
家だけならまだしも、仕事場で一人になった途端、涙が止まらなくなるのは
他人に見られる可能性があるので本当になんとかしたい。


と、今の自分の状況を文章でまとめてみたら
「もうだいぶ限界では???」と思う。

畑違いの業界に迷い込んだ私(今でもハチャメチャ迷子)を2年近くかけてなんとか使い物にしてくれた先輩上司、その他関わってくれた方々の人柄の良さと彼らに対する恩情でなんとか保っていたが、
彼らに報いたいという気持ちと義務感に突き動かされて一日中走り回る日々をすごしていたら、自分の中にもう何も残っていないような感覚になってしまった。
立ち止まったときに襲いかかってくるこの空っぽさは、ゆら帝『空洞です』の比ではない。と思う。


「こんなことを考える奴こそ、仕事場においては無能なんだろうな」といつも自分自身に思っているが、

私はこれ以上、仕事の知識やノウハウで自分のデータ容量を食うのが嫌だ。仕事のことしか考えられなくなっている自分が本当に嫌い。最悪。悲しい。

私は好きな本とか歌詞の一節について何時間でも話がしたいし、
仕事に体力を温存するためにレイトショーにいくのやめたくないし、
一瞬でも暗い気持ちにならないために世情をシャットアウトするのもやめたいし、
川沿いのベンチでその世情に頭を巡らせながら、ドッグランスペースでけたたましく走り回る犬に時々よそ見してたいし。

もう本当に、一銭にもならない、役に立たないことばっかりしたい。
社会人2年目になってもこういう性根が矯正されなかったから、もう多分社会的に大成しない。残念ですが仕方がなさそうです。


久しぶりにいいお酒と時間を摂取した



最近行った飲み屋の店員さんに、翌日が待ちに待った週一休みの日だと伝えたら、
「そっか~、明日天気良いといいね~」と言ってくれた。

ゆっくり休んでね、とか、良かったね、とか直接的な言葉より、少し遠回しなお祈りの言葉だった。
その少しの「遠さ」に触れて、最近の中で一番生きている実感が湧きました。
そういう余白の中で、私はいつまでも遊泳したいのだと、
アルコールが回っている脳みそを以てしても鮮烈に実感できたのでした。


2024年は、こういう余白をつかみ取るための一年にしたい。
他人のために生きないで、社会的にちゃんとしようとかこれ以上思わないで、空っぽの中にちゃんと綿なり臓器なりちゃんと自分を満たすものをつめてやりたい。
自分の人生のイニシアチブは自分で握ります。





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