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秋やら夏やら曖昧な九月の終わりに

ただいま、あったかいほうじ茶を啜りながら、東北新幹線「やまびこ」に乗って北へ北へと向かっている、その車内。気づけば、今日までが九月だったな。そういえば、「九月」という男が最近、本を出していた。昔々に教育系イベントで出会っていた仲間でもあったので、手に取って読んでみた。コロナにかかって、39度の熱と唾を飲み込むたびに激痛が襲う、ひどい九月のはじまりだった。そして、「明らかにアイツやん」とわかる人物のくだらないエピソードに声を出して笑ってしまい、喉に激痛が走ったので、そこでこの本は閉じた。それ以降、まだ続きを読んでいない。

そうそう。4月にはそれまでやってきたことを全てやめてみたが、夏休み明けた九月は、4月からはじめてみたことも、全てやめてみた。特に誰にも相談報告せずに、勝手にやめてみた。でも、誰も何も言ってこないし、誰も困らない。まあ、気楽だが、寂しい。でも、決して錆びてはいない。独りというのは迷うな。冒険には仲間が必要だし、本当の仲間と出会ったときには事が動き出し、自ずと冒険がはじまるはずだ。だから今は、まだ迷っていようと思う。

昨日は大事な仲間がやめていった。一緒に冒険してきた仲間。やめたのは役であり職であり箱というか所属の話、仲間という関係の話ではない。一緒に冒険してきた仲間との関係は、一生なくなるはずがない。先週、久しぶりに、身体が震えて涙が溢れた。身体と身体が触れ合った時に、言葉を介さなくても、何かを介して、それは溢れた。何の涙かはわからないけど、涙を流したという事実だけが全てだと思う。

九月は、ワークショップや合宿、子ども向けキャンプなど、企画イベントが目白押しだった。4月以降に引き受けたり企てたりしてきたことが一挙に九月に集まって大変。平日は風越でも動きつつ、コロナの後に残った激しい咳とともに、それを半ば乗り越えるかたちで、ひとつひとつやり切っていった。基本的に自己評価が低いので、自分の力量についてはダメダメだったなと振り返っているけど、でも、出会って関わった一人ひとりとは一生の付き合いだと思いながらやった。今の僕には、自分の力量よりも、そっちが大事に思える。

30になった今年くらいから、家族関係というものは、本当に尊いものだと思うようになった。そういう出来事が起こりはじめる年頃でもあるか。九月、義理のお母さんが倒れた。生死を彷徨い、何とか事なきを得たが、現在もまだ予断は許さない状況。でも、どこか奥底できっと大丈夫だと思えているのは、あの家族がいるから。手術の日、各地にいる義理の兄弟家族が急遽かけつけ、僕は主催していた合宿を中抜けさせてもらって、緊張が走る時間、家族と一緒にそこにいた。何もできないけど、一緒にいた。そこでいろいろ感じていた。僕は、結婚してよかったなと思った。

昨夜は、福島県郡山の菊地南央くんの家族にお世話になった。偶然、郡山駅前はお祭り騒ぎで大通りをいくつもの神輿が行ったり来たり。「よい、よい!」「わっしょい!」と、両側の道を歩く人たちを煽っている。ライブだ。ステージだ。僕は勝手に盛大に出迎えてもらった気持ちで、その活力を浴びながら、菊地家に向かった。南央くんは、NPO授業づくりネットワークの理事仲間だけど、そっちの関係というよりは、何があるでもなくても、たまに近況報告をし合い語り合う、ゆるくあつくつながっている数少ない同志。その家族にお世話になったもんだから、より一層、踏み込んだ関係になったわけだ。僕はこういうお付き合いを大事に歩んでいきたいな。踏み込んでいきたい。

さてさて、新幹線を降りた。目的地の遠野まではもうあと1時間ほどかな。


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