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【ネタバレなし】宇多田ヒカルと「エヴァ」のシンクロ/「One Last Kiss」について

『シン・エヴァ』の予告編を見たとき、「One Last Kiss」と「エヴァ」のシンクロに全身が震えました。もちろん『シン・エヴァ』を実際に観て、それをさらに深く味わうことができました。なぜこんなにも感じいってしまうのか。それは、宇多田さんと「エヴァ」に共通する「くり返す時間」によるものだと思います。そのことについて書いてみました。

「One Last Kiss」の押韻

「One Last Kiss」と「エヴァ」のシンクロについては、まず、以下の冒頭部分にとても重要なことが集約されているような気がしています。

は(ha)じめてのルーブルは(wa)
な(na)んてことはなかった(ta)/わ(wa)
わ(wa)たしだけのモナリザ(za)
もうとっくに出会ってたか(ka)/ら(ra)

カッコ内のローマ字表記した部分では、aの音で見事な韻が踏まれています。宇多田さんの日本語歌詞の魅力のひとつは巧みな押韻だと思います。

そういえば、以前、宇多田さんは、自分の日本語歌詞について次のように書いていました。

日本語表現の性質について私なりに考えることはいろいろあるのだけれど、萩原朔太郎の『詩の原理』で大概語り尽くされているのでここでは割愛する。(『宇多田ヒカルの言葉』、p.10)

割愛されてしまっているので本当のところは分からないのですが、『詩の原理』で朔太郎は自由詩においても押韻が大事なことを強調しています。

押韻とくり返しの時間

そして、その朔太郎の詩を参照しつつ、押韻についての見解を示した九鬼周造という哲学者がいます。彼は次のように言っています。

詩のリズムの反覆ということは現在が永遠に繰り返すことである。(中略)現在が限りなく繰り返すことは、現在が永遠の深みを有(も)っていることである。リズムのみならず詩が韻を踏むことも同様である。(「文学の形而上学」)

九鬼によれば、韻を踏むことは、現在を何度も何度も繰り返すことの表現です。ふつう、時間といえば、過去から現在、そして未来へと直線的に流れるものです。そうではなく、過去が未来につながって再び現在にやってくるような円環的な時間があるのです。

そう考えると、「初めてのルーブルが初めてではなかった」という歌詞は、過去が再びやって来る円環的時間を示していると解釈できます。宇多田さんは、過去が回帰する円環的時間を、歌詞の意味内容と押韻の両面で表現しているのです。円環的時間が湛える永遠の深みが、私たちに強い感動をもたらすのではないでしょうか。

「エヴァ」というくり返しの物語

ここで思い出すのが、庵野秀明さんによる『新劇場版』の所信表明です。

「エヴァ」はくり返しの物語です。
主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。
僅かでも前に進もうとする、意思の話です。
曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。

「エヴァ」は、主人公の碇シンジ(たち)が何度も同じ目に遭うのをくり返す物語です。それは、現在のくり返しの物語と見ることもできます。例えば、『新劇場版:破』から『新劇場版:Q』までに14年間が経過しているにもかかわらず、シンジは全く年をとっていません。つまり、シンジは現在を繰り返し経験しているのではないでしょうか。さらに、『漫画版』、『テレビアニメ版』、『旧劇場版』、『新劇場版』でも現在がくり返されます。「エヴァ」というくり返しの物語は、円環的時間の中で紡がれるのです。ここに、宇多田さんが歌う円環的時間とのシンクロを見て取ることができます。

くり返しの時間と天才の霊感

宇多田さんが、円環的時間を歌うのは「エヴァ」のテーマソングに限ったことではありません。例えば「初恋」です。

この曲について、宇多田さんは次のように語っています。

「初恋」って歌の歌詞も、初恋が終わった瞬間に歌っているのか、始まりに歌っているのか分からない、そういう時間軸の不思議な感じが好きで(手を円環的に回転させながら)、この曲のミュージックビデオでも、おばあちゃんっていえる女性も少女といえる女性も映っているっていう、少女が歌っているのか、少女時代を振り返っているおばあちゃんが歌っているのか分からないっていう、少女と老後みたいなものを私が同時にこう曲にできたっていうのがすごく意味があるというか、こうなんかすっと出てきたんですよね、それが。(NHK「SONGSスペシャル」2018年6月)

宇多田さんが手を円環的に回しながら語っているように、円環的な時間がイメージされているのでしょう。そこでは、少女時代と老後が同時に現われています。九鬼は、円環的時間が永遠の深みを持つと言いました。その深みは、現在のうちに過去や未来が含まれることによってもたらされるのです。

あと、別のテレビ番組(NHK「プロフェッショナル仕事の流儀 宇多田ヒカルスペシャル」2018年7月)でも、この円環的時間についてのエピソードが紹介されています。「夕凪」の曲作りでとても苦しんでいたときに、宇多田さんがナボコフの『青白い炎』を読んで涙するシーンがありました。この曲は最終的に次のような歌詞が与えられて完成します。

全てが例外なく
必ず必ず
いつかは終わります
これからも変わらず

番組は、この曲作りを通じて宇多田さんが辿り着いた真実を「全てのものには終わりがあり、それは始まりでもある」と伝えました。これは、終わりと始まりがつながる円環的時間のことだと思います。

ちなみに宇多田さんが読んで涙していた『青白い炎』の作者であるナボコフは、天才の霊感について次のように語っています。

一切は過去と現在の完全な融合にかかっていた。が、天才の霊感には三番目の要素が加わる。すなわち過去と現在と、そして未来(自分の書く本)が、一瞬のきらめきのなかに合体する。(『ナボコフの文学講義』)

宇多田さんは、ナボコフとの共鳴から天才の霊感を発揮したのではないでしょうか。過去・現在・未来が合体する円環的時間という一瞬のきらめきにおいて「夕凪」は生まれたのだろうと想像します。

他者に触れるということ

宇多田さんと「エヴァ」は円環的時間のもとでシンクロします。シンジたちは円環的時間の中で、何度も同じ目に遭いながらも意思と覚悟をもって前進し続けます。それが具体的にどういう前進なのかを読み解くカギが、庵野さんの所信表明にある「曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う」という文です。

曖昧な孤独とは何か。それに耐えて他者に触れるとはどういうことか。「One last Kiss」の次の歌詞が、そのことを語っているように感じています。

誰かを求めることは
即ち傷つくことだった

なお、庵野さんの所信表明には「主人公が何度も同じ目に遭いながら」とありますが、『シン・エヴァ』では、シンジに限らず様々な登場人物たちが同じ目に遭いながらも意思と覚悟をもって前進していると思いました。円環的時間の中で、それぞれの登場人物がそれぞれのやり方で、曖昧な孤独に耐えて他者と関わっていく姿はとても味わい深いものでした。

だいぶ長くなってしまいました。。曖昧な孤独、それに耐えて他者に触れるという点については、『新劇場版:Q』のテーマソングである「桜流し」なども絡めつつ改めて書きたいと思います。

→書きました。以下も併せてお読みいただけたら嬉しいです。

追記:宇多田さんと「エヴァ」のシンクロについて、より詳しく書いたものがrockin'onの「音楽文」に掲載されました。こちらも併せてお読みいただけたら嬉しいです。


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