盛岡芸妓の魂を今に、そして未来へ伝え続ける
お話しを伺った方
盛岡芸妓 富勇さん(2024年取材)
盛岡の街を華やかに彩る「盛岡芸妓」
盛岡には、盛岡芸妓と呼ばれる女性たちがいる。
藩政時代から続く芸者衆で、かつては八幡町を中心とする「幡街(ばんがい)」と、本町の「本街(ほんがい)」のそれぞれに花街があった。
当時は商家の旦那衆や役人、政治家などが料亭に盛岡芸妓を呼び、客人を歓待していた。「平民宰相」として知られる第19代内閣総理大臣の原敬も、地元の盛岡で園遊会を開く際には、幡本両花街の芸者衆を大勢呼んで来賓をもてなしたという。
「最盛期は大正時代の中頃から昭和のはじめ頃で、一時期は幡街と本街を合わせて200人近くの盛岡芸妓がいたそうです」
そう語るのは、盛岡芸妓として今まさに活躍中の富勇(とみゆう)さんだ。
3歳から習い始めた日本舞踊
奥州市水沢出身の富勇さんは、芸術に精通する両親のもとに生まれた。日本舞踊を習う姉に憧れて、両親から「ピアノと踊り、どっちがやりたい?」と聞かれたとき、迷わず日本舞踊を選んだという。
その後、16歳まで日本舞踊を習い続けたが、学校の勉強や部活が忙しくなり継続を断念。大学入学とともに上京してからは、歌舞伎の世界にのめりこむようになっていった。
「あの頃はお金を貯めては、毎週のように歌舞伎を観に行っていました。舞台に近い席なら目の前で地方さんが演奏してくれますし、役者衆の息遣いや流す汗も涙も見えるという贅沢な空間。本当に、夢のような時間を過ごさせてもらいました」と、楽しそうに振り返る。
そんなある日、一つの新聞記事が目に止まった。そこに書いてあったのは、「盛岡芸妓見習い募集」という文字だった。
人生を変えた盛岡芸妓への挑戦
実は当時、盛岡芸妓は存続の危機に立たされていた。
盛岡芸妓として一本立ち(自立)するためには厳しい稽古が必要で、収入を得るために時間を割くことが難しい。加えて、昔ならお座敷遊びが“大人の嗜み”として定着していたが、料亭の存続さえ厳しい今の世の中では、芸者衆の活躍の場も減る一方。そのため後継者を育てることが、ままならない状態になっていたのだ。
こうした事態を打開するべく、盛岡市は国の補助金を活用して修行期間中の就業をサポート。安心して稽古に打ち込める環境を整えた上で、全国的に後継者を募集した。
「新聞の記事を見るまで盛岡芸妓の存在は知りませんでした。でも踊りや三味線、唄の修練ができると書いてあって、これはすごいなと思ったんです」
一念発起して、盛岡芸妓見習いに応募することにした富勇さん。3名の枠に21人の応募があったが見事合格し、修行期間を経て2015年に一本立ちした。
「修行中は、お稽古についていくだけで必死でした。でも一本立ちしてからは腹をくくって、それまで以上に芸を高めることに集中していきました」
『芸は、お客様のためのもの』
全国の花柳界の中でも、盛岡芸妓は特に技芸の質が高いことで知られている。もともと街全体として芸事が盛んだったという背景に加え、明治時代に盛岡を訪れた名人・常磐津林中の教えを直接受けた過去もある。
その流れは今も続いていて、明治の世から同じ筋の日本舞踊と常磐津の師匠に指導をしてもらっている。これを絶えることなく続けている花柳界はほかになく、全国で盛岡のみだ。
明治には東北六県連合共進会で優勝したほか、昭和から平成にかけては、全国花街芸妓合同公演の紅緑会に4回出演するという輝かしい実績も持つ。
「こんなに長い歴史の中で、同じ筋の芸事を続けて来られたのは奇跡に近いです。それはやはり、お姐さん方の誇りや気概があってこそだと思います」
そう語る富勇さんは、現在、踊りの師匠であるよう子姐さん(四代目・若柳力代)をはじめ、てる子姐さん、あき子姐さん、てい子姐さんとともに盛岡芸妓の姿を今に伝え続けている。
その胸の内には、この世界に入って最初によう子姐さんから言われた言葉が大切に刻み込まれているという。
「お稽古を始めたばかりの頃、『芸はお客様のためにあるもので、あなたの体を離れた所にあるものだ』と言われたんです。『自分の技量とは関係なく、ただひたむきに続けた先に、にじみ出るものがある。だからとにかくお稽古をしなさい』と。本当にその通りだなと思いますし、今もその言葉を胸に、日々の稽古に励んでいます」
さらに富勇さんは、芸妓としての心得をこう語る。
「私たちにとって、舞台を務めるのもお座敷でお客様をもてなすことも、どちらも大切です。例えばお酌をするときには、お客様がうるさく感じないようにしたり、上着を脱いでいただくときに肩が引っかからないように気をつけたりします。小さなことですが、お客様に対する思いの積み重ねが舞台にも表れるんです」
生涯をかけて歩み続けたい道
一生かかっても、芸事のゴールはないという富勇さん。進めば進むほど、その先にある高みの存在に気がつくが、それこそが芸事の魅力だと語る。
「お姐さん方はいろんな浮き沈みを経験する中で、芸事だけは変わらずに続けてきた人たちです。そういう方々に教えを乞うこと自体が幸せですし、自分もあの場所に行ってみたいと思えることに面白みを感じます。もっと上手くなれるっていう思いが、常にあるんですよ」
そう言って明るく笑う富勇さんは、名前の通り勇ましさに富んだ雰囲気と、全てを包み込むような優しさを併せ持っている。そんな彼女は、最後に幸せを噛みしめるようにこう言った。
「最近では、コロナ禍など大変なこともありましたが、お料理屋さん方、お客様方、お姐さん方のお支えのおかげで続けてこられました」
芯の通った美しさと、芸に向き合う真っ直ぐな眼差し。その姿こそが、これまで芸者衆が受け継いできた“盛岡芸妓の魂”なのかもしれない。
盛岡の歴史と文化、そしてここで暮らす人々の心が育んだ盛岡芸妓。
これから先も大切に伝えていきたい、街の宝物だ。
取材協力:賜松軒(盛岡市立杜陵老人福祉センター)
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