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折り合いがつかないことに、折り合いをつける

昨年から今年にかけて、コロナ禍で生活に不安が押し寄せたせいもあるためか、弊社で携わっている患者さんから、「親に会いたい」「家族がどうしているか知りたい」など、「家族」の話をされる機会が増えました

患者さんからそのようなお話があれば、家族にも伝え、意向を確認しますが、ほとんどが「会うつもりはない」と拒絶されます。弊社が介入するまでの間、家族は本人からの暴言や暴力、お金の無心に怯え、眠れない日々を過ごしてきました。精神科での治療により状態がよくなったからと言って、即座に交流をもつ気にはなれないようです。弊社としても、その気持ちは尊重せざるをえません。

患者さんが10代ならまだしも、20代、30代ともなれば、いつまでも親や家族を当てするのもおかしな話です。とはいえ、病気や障害の有無にかかわらず、生きていくためには周囲の人の支えが必要ですから、患者さんには、「家族ではない人たちと人間関係を構築できるようにしましょう」とお伝えしています。

しかし、なかなか納得してもらえないこともあります。いつまでも親に執拗に手紙を送ったり電話をしたりする方もいます。当然、親は手紙を突き返し、電話にも出ませんが、それでも本人は、「家族」に執着するのです。

弊社もこのような方には、対話を繰り返しながら、事態の推移を見守るしかありません。もちろん、本人が実家にやってきて事件でも起こしかねないような場合には、あらかじめ所轄警察署に相談をするなどの対応をとります。現住所が分からないよう引越しをした家族もいます。

しかし本人に対して、家族との接触を禁じる手立ては今のところありません。つきまといや執拗な連絡など、第三者であれば「ストーカー」と判断されるような行為であっても、家族間であれば「民事不介入」が原則です。

本人からすれば、家族を困らせたことは「過去の話」であり、「今は違う」という理屈ですが、家族にとってはそう簡単に「過去」にはなりません。相手(家族)にも感情がある以上、「折り合いがつかないことに、折り合いをつける」しかないのです。

弊社の経験では、家族との断絶を、早い段階で「仕方ない」と受け入れられた方のほうが、新しい人間関係やチャレンジの機会を得られるなど、道がひらけていくように思います。それができる方は、“自分の家族”についても、客観的に振り返ることができています。家族への歪んだ認識や、過度な期待を手放し、「うちの家族はどうしようもないから、しょうがないもんね」と笑って言えること。それが、自分の人生を取り戻す近道でもあります。

「まあいいか」や「しょうがない」という言葉はマイナスに取られることが多いですが、現実を受け入れるために必要な言葉でもあると思います。

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