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母と息子の"恋人のような"関係

先日、グループホームに入所しているB君の面会に行きました。B君には学習障害があり、いわゆる一般的な人とは、会話も生活もペースが異なります。最近、親元を離れて、自立訓練のためにグループホームでの生活が始まりました。

30分ほどおしゃべりして最近の様子などを伺い、帰り際に「何か必要なものはありますか?」とお尋ねしました。11月も末になりだいぶ肌寒くなってきたので、冬服など足りないものがないか、確認したのです。

ところがB君から返ってきた“必要なもの”の返答は、まさかの「お見合いとか……」。予想外の回答に、こちらも思わず固まってしまいました。

「お見合い」の真意を聞いてみると、B君はポツポツと語ります。要約すると、「自分のことを分かってくれる人がほしい」「趣味の合う友達がほしい」「そういう人がいれば、結婚もいいかなと思う」というお話でした。

当たり前のことですが、友人にしても恋人にしても、人間関係を育むには双方の気持ちがマッチしなければなりません。B君に「まずは施設にいる身近な人に話しかけて親しくなってみてはどうか」と伝えると、納得がいかないようで首をひねっています。

B君に限ったことではありませんが、もともと人と関係を育むことが苦手で、自分から積極的に友達を作れるタイプではない子の場合、親しく付き合っているのは、「親」か「自分より立場が下の人」であることが多いです。

「立場が下の人」というと少し言葉が悪いのですが、たとえば「自分より障害が重い」相手であれば、話しかけやすく、相手も応じてくれて、好意を持ってくれることもあります。ただし「自分より障害が重い」がゆえに、本人にとっては次第に関係が負担に感じられるようになり、疎遠になってしまうようです。

B君も同様で親しい友達はおらず、親御さんが弊社に相談に来るまで、B君にとっての「友達」や「恋人」の役割まで、すべて「親」が担ってきました。親御さんは「障害があって不憫だ」という思いもあり、B君がやりたいということは、金銭的負担も含めて、すべて叶えてあげてきました。

たとえばB君の趣味や嗜好が、親にとっては理解不能なものであっても、欲しいものがあれば買い与え、イベントに行きたいと言われれば同行し、そのためによく分からないスマホの操作も必死で覚える、という毎日でした。

当然、B君の欲求はどんどん膨れ上がり、一方で親御さんは、年齢を重ねるにつれて、B君の相手をすることが辛くなっていきました。そんな親の対応に腹を立てたB君から暴力を振るわれ、警察沙汰になったのを機に、弊社に相談があったのでした。

B君は現在、施設に入所し、これまで友達や恋人のように寄り添ってくれた親とは一定の距離をおいています。「お見合い」という言葉は突飛でしたが、親が傍にいない今、「自分を理解してくれる相手がほしい」という願いが沸き上がるのは自然なことです。しかし今後は、自分の力で人間関係を育んでいかなければなりません。自分の理想とする現状には、なかなか手が届かないこともあるでしょうが、それも含めて受け入れていく必要があります

世間ではよく、母親が「息子は恋人みたいなもの」と、言うことがあります。そうは言ってもほとんどの子供は、ある程度の年齢になれば、親に対して「うざい」などと言うようになり、自分の世界を構築していきます。

しかし、子供に障害があったり、不登校やひきこもりで社会のレールから外れてしまったりすると、親御さんの中には、不憫だと思うあまりに「友達」や「恋人」の役割まで担うかのように、べったりと寄り添ってしまう方も少なくありません。

B君の親御さんのように、警察沙汰で目が覚めて「離れる」という決断ができればまだいいほうで、子供に暴力を振るわれたり金銭の無心をされたりしながらも、せっせと世話を焼き、頑なに第三者の介入を拒否する親もいます。これはとくに、母親と息子の関係において顕著な傾向です。

弊社の経験でいえば、そのような環境で育てられた子供は、B君のように「なんでもお膳立てしてもらえるのが当たり前」という姿勢である事が多いです。また、「女は男の言う事を聞くもの」という思い込みから「女性蔑視」の思考が強い方も見受けられます。

「息子が恋人」などと言えるのは幼少期のごく限られた時期であることを自覚し、たとえ本人がコミュニケーションを不得手とするタイプであったとしても、第三者との関わりを失わず、本人自らがきちんと関係を育んでいけるよう努めてほしいと思います。



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