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人の好意は受け取らなければならないのか?


この文章は、思考の整理の為に纏めたものだ。
立ち位置に寄って賛否両論あると思うが、このように受け取る人間もいるということで、ひとつのサンプルとでも思って欲しい。

タイトルにも書いた「人の好意」だが、受け取らなければいけないものなのだろうか?

先日、友人からメールでイベント開催日程のリクエストがあるかを問われた。

このイベントは不定期に少人数で開催される講演会で、私は都合が合えば参加している。しかしながら、仕事の都合上参加できないことの方が多い。

参加には会場や講演者への謝礼なども含めて、それなりの費用がかかる。内容に見合った費用だが、自分の可処分所得からすると少なくない金額だ。いつでも気にせず支払える金額ではない。

メールで日程のリクエストを問われて、正直なところ、回答したくないと思ってしまった。

理由:
•リクエストして、その日程で開催される場合、私が参加することは確定とされる。

それは、私の参加を友人が決める事になる。
私は、私のことを自分で決められる状況を維持することのほうが重要だ。だから、勝手に参加前提で話が進む事に抵抗がある。

•期待された回答は、日程をリクエストし、その日程で開催されれば参加することだ。

それ以外、例えばリクエストした日程で参加しない、日程を提示しないのような回答が発生した時、友人からしてみれば好意を蔑ろにするとしか受け取らないだろう。
よって、友人は私を非難する理由(好意なのに、その言い方は…など)に事欠かない。

このメールに対して、私は自分が持っている参加可否の決定できる権利をなくすか、友人が期待した以外の回答をし、後で文句を言われるだろうな、というネガティブな結果しか想定できないのだ。

事実、私は日程のリクエストを出さず、後から「人の好意は受け取るものだ」と文句を言われた。

私にとって、受け取ったメールが回答のしようもない乱暴なもので、どの程度の重さの問い合わせなのかもわからず、考えた挙句「そちらの都合で構わないのではないか」という内容をシンプルに返答したのだか、それが不快だったらしい。

文句を言われたついでに、それ以上の回答ができない文面だったこと、回答が2択にしかならないこと、状況の説明がなく勝手な想定はできないことを説明した。
そうしたら、だいぶライトな意味合いの問い合わせのつもりだったこと、こちらの受け取り方は言われなければわからない、と返ってきた。

言われなければわからないのは、こちらも同じだ!! 私も、背景の説明がなければあなたの満足する回答などできないのだよ…

友人は好意を蔑ろにされたと思い、私は地雷でしかないメールに不快感を感じた。言葉の不足からくる行き違いであり、過去にも似たようなことを繰り返している内容だ。

とまあ、結果としてはありがた迷惑の好意だったわけだ。

人の好意は受け取らなければいけないのか?

良かれと思って行った行動は、喜んでもらえるという期待がある。それは相手の価値基準を勝手に想定しての判断な訳で、実際に喜ばしいことなのかはわからない。
受け取ることを強要される好意は、ある意味、傲慢になるのではないだろうか。

私は、それはしたくない。
受け取られないかもしれない前提と、受け取らない自由、は必要だと思うのだ。

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