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エッセイ『デタラメだもの』

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デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。妄想まみれで日常を綴るエッセイです。
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#エピソード

年末年始の休みに巻き起こった、漫画を巡る冒険。予想外の刺客はパソコンだった。『デタラメだもの』

え? 1月って、あった? もう2月よね? 時が経つの、早すぎん? 歳を重ねると時間が経つのが早いなどとはよく言うが、これほどまでに納得させられるものは他にはあるまい。学生の頃は、週末の休日が来るのを心待ちに耐えていた平日も、今じゃあっと言う間。かと言えば、週末だってあっと言う間。そりゃ、一年も早く過ぎ去ってしまうよね。 それを証明する出来事が、今年の正月に起こったもんだからたまらない。まさか、漫画をきっかけに、時の過ぎ行く早さを思い知らされるなんて。 元来、漫画を好んで読

あなたはM気質? それともS気質? 血液型はO型A型B型AB型? それを議論することに、果たして意味はあるのだろうか。『デタラメだもの』

「ボク、歯医者が好きなんですよ」といったことを言ってのけると、周囲から、あり得ない、考えられない、信じられない、などと距離を置かれてしまうことがよくある。しかし、その実、歯医者はめっぽう好きだ。 治療にはもちろん痛みが伴う。定期検診で歯石を取り除く施術だけでも、ぞんぶんに痛みを伴う。しかし、基本的には、治療によって死ぬことはないと盲信している。別に死ぬわけではないが、めっぽう痛い。そこが歯の治療のミソなわけだ。 痛みの延長上の最果てには、死が待っているとしよう。ところが、

何で今日に限って、こういうことが起こるの?不運は今日も人の運命を弄ぶ。『デタラメだもの』

何で今日に限って、こういうことが起こるの? と、運のなさと申しますか、運命のイタズラと言いますか、いや、そもそもそれが宿命というものなのかもしれないが、何で今日に限って、こういうことが起こるの? という不運は訪れる。 わかりやすい事例でいくと、学生時代、普段は教科書なんて滅多に家に忘れてくることはないのに、たまたまその日、教科書を忘れてしまった。うわぁ、どうしよう。と焦ってはみるものの、まぁ大丈夫、先生にはバレないだろう。などと高を括っていると、そんな日に限って、教科書の音

消防車のサイレンがきっかけで始まるご近所付き合い。近隣住民がご近所さんに昇華する瞬間を想う。『デタラメだもの』

救急車や消防車のサイレンが聞こえる。遠くのほうから聞こえはじめたサイレンの音は徐々に大きくなり、すぐ近所まで近づいたかと思うと、ピタッと止まる。 サイレン音は音楽でもエンターテインメントでもないから、リスナーの気持ちを害さぬよう、フェードアウトなどして終幕を迎えてはくれない。いつだってピタッと止まる。音が止んだ瞬間、近隣住民たちは一様に思う。「近くで何かが起こってる!」と。 外ではガヤガヤと近隣住民たちの声が聞こえる。家着のまま、サンダルまがいの履物で玄関先に飛び出す者。

年をとると、あっという間に時間が過ぎるよね。という時間の相対性について深く考えてみた。『デタラメだもの』

年齢を重ねれば重ねるほど年をとるのが早くなる、なんてことはよく言われるが、実際にそう感じている自分がいる。一週間なんてあっという間に過ぎ去っていく。 子供の頃は、学校のない日曜日が待ち遠しくて仕方がなかった。その日に向けて、平日の5日間と土曜日の半日を、なんとかやり過ごしていた。日曜日までの道のりは果てしなく長く、早く過ぎろ早く過ぎろと念じてみても、遅々として進まぬ日々。 ところがどっこい。今となっては平日もあっという間。休日もあっという間。一週間がそんなに高速に過ぎるん

小説投稿サイトのコンテストに投稿した作品のテーマを間違って執筆していた!?と思いきや、まさかの大どんでん返しが。『デタラメだもの』

まさか、こんなことが起こりうるのか? 唖然呆然としてしまう事態ってものは、数年に一度くらいは起こるような気がする。そして、それが起こってしまった。エブリスタという小説投稿サイトのコンテストに投稿する作品のテーマが『あと5分』だったにも関わらず、『あと5日』と勘違いして、壮大なるミスをやってのけたわけである。 なんのルーティーンかはわからないが、エブリスタのコンテストの結果発表は、後輩と安い居酒屋でお酒を嗜み、その途中、トイレに行っているときに行われることが多い。今回も例に漏

遊具。それは自分の中に生きる子供心との決別を促すアイテム。気軽に触れると痛い目を見る。『デタラメだもの』

公園にはさまざまな遊具が立ち並んでいる。今日もあちこちで、元気よく遊び回る子供たちの姿が見られることだろう。実にいい光景だ。憂いたっぷりで日本の将来が語られる機会も多いが、そんな暗い話題はどこ吹く風。快活に遊びに没頭する子供たち。自由に遊具と戯れている。 遊具。それはまさに、子供と大人を決別させるに余りある無慈悲な審判。 できればいつまでも若くいたいものだ。その実、少年や青年と呼ばれる頃から、たいして思考が変わっていない気もしている。そりゃ、ビールも飲むし、ハンバーグやエ

商品を注文する直前に店員さんから、「○○はいかがでしょうか?」と先制攻撃を食らった場合、どのように返答するのが正解なのか?『デタラメだもの』

そんなこと言われたら、どう返答していいのかわからなくなるやん。という場面に出くわすことがある。こっちが悪者みたいになるやん。と感じてしまう場面だ。もしくは、「君、しょうもない人間やねぇ」と思われてしまいがちな場面。 例えば、ドライブスルーに立ち寄るとき。近ごろではスマートフォンのアプリなどに備えられたクーポンが充実しているため、立ち寄る前にクーポン番号を確認し、注文する商品ラインアップを確定しておくのが常だ。コレとコレとコレを頼もう。もう、ワクワクが止まらないね。 ドライ

食べたいものを答えるという自己主張。これは決してわがままなんかじゃなく、相手への配慮だということに気づく。『デタラメだもの』

目上の方から、「飯でも食いに行くか。何が食いたい?」などと問われる機会があったとする。接待を受ける立場になったとして、「何か食べたいものはありますか?」と尋ねられたとする。 そんな折、必ずといっていいほど、「なんでもいいっすよ!」と答えてきた人生。最近になって、その解がなんだか違うのでは? と勘づきはじめた。その気づきを、ひとまずは成長と呼びたいと思う。 言いぶんとしては、こうだ。言うても奢ってもらう立場。ご馳走してもらう立場。自分勝手な我儘は言えまい。他者に代金を支払っ

容姿を褒められれば嬉しいものだ。が、褒められ方によっては、屈折した感情を生んでしまうことも。『デタラメだもの』

他人から見た目を褒められて、悪い気を起こす人は少ないだろう。当然、悪く言われるよりは、良く言われたほうがいいに決まっている。たとえそこにお世辞の類が混ざっていたとしても、だ。 世間的に評価される見た目を持つ男女は、常日頃から、「タレントの誰それに似ていますね」などと持て囃される機会も多いだろう。今をときめく俳優、女優、芸能人、スポーツ選手などに例えられようもんなら、さぞかしその場も盛り上がるはずだ。 はて、自分の人生において、そのような機会があっただろうかと記憶を逡巡させ

絵を描くことが一切できない人間には、こんなにも壮絶なエピソードがあったりもする。『デタラメだもの』

それにしても絵の才能がない。才能というとおこがましいな。能力というべきか、絵を描くというプログラムが脳内に実装されていないと言わざるを得ないほどに絵が描けない。 誰もが描けるとされている国民的有名キャラクターの絵なども、まったくもって描けない。似てる似てないの問題どころか、どこかお化け的に仕上がるもんだから、周囲を恐怖のどん底に突き落としてしまう。それを見た者の多くは体調不良を起こし、きっと2~3日はまともな生活を送れない。 なぜ絵が描けないのか。そう、脳内で被写体のイメ

人の人生には、他人じゃ知り得ないドラマがある。自らの生き様に誇りを持ってみようじゃないか。『デタラメだもの』

数ヶ月前、事務所を移転し、オフィス街のど真ん中から、比較的住宅街に近い町へと移ったわけで。以前は、どこを見渡してもエナジーを滾らせているビジネスパーソンで溢れかえっていた景色が一変、今では散歩中のおじいちゃんや買い物に向かう奥様方、ワイワイと賑やかな声をあげながら下校する小学生たちが、アットホームな様子で心を癒やしてくれる。 そして何より特筆すべきなのが、移転先の事務所が、社会人として最初に勤めた会社から徒歩2分程度の場所に位置しているということ。それなりに長くお世話になっ

怒りやイラつきを鎮める方法として、こんなやり方はどうだろうか、という妄想じみた提案。『デタラメだもの』

例えば、遅刻しそうになって焦っている朝。猛ダッシュで道をゆく。しかし、目の前にゆったりまったりと歩く人がいるとしよう。その御方が半ば道を塞ぐような状況となり、どうにもこうにも抜くことができない。ただ、その御方のペースに付き合っていては遅刻してしまう。そこで人は、チッ、舌打ちをする。要するに、イラついてしまうわけだ。 しかし、人生、怒るよりも平穏なほうがいいに決まってる。物事はそっちのほうがスムーズに進む。平和的に行こうじゃあないの。なので、ここで思い留まるようにしてみた。否

運動不足を解消するため、お金をかけずにストイックに運動に取り組んでみたところ、悲しい結末を迎えるはめに。『デタラメだもの』

年齢を重ねるごとに、運動する機会というものはどんどん減ってくる。運動不足と呼応するかのように、身体つきはその鋭さを失い、要するに、だらしなくなり、動くのが億劫になったり洋服が似合わなくなったり、閉口することしばしば。なんとかこの問題を解決せねばならん。 近頃、フィッシャーズという動画クリエイターの動画にハマッている。特に過激なことをするわけでもなく、タメになる学びのコンテンツがあるわけでもない。ただただ楽しそうに遊んでいる彼らの動画を観てると、無の境地を味わえる。世知辛い世