マガジンのカバー画像

エッセイ『デタラメだもの』

72
デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。妄想まみれで日常を綴るエッセイです。
運営しているクリエイター

#小説

物語に必要な感情のN字曲線の、右下部分の辛さが心苦しくて耐えられない場合はどうすれば……。『デタラメだもの』

たいていの物語というものは、実に心苦しい。より正確にいうと、物語中に心苦しさを多分に孕んでいる。そして、長い物語になればなるほど、それは反復する。たとえその心苦しさに耐えかねて、足をプルプルと震わせている読者や視聴者がいたとしてもだ。 物語にはN字曲線というものが欠かせないといわれている。読者や視聴者である受け手の感情がN字を描くように導くわけだ。 どういうことかというと、仮に平凡な主人公が日常生活を送る物語の序盤は、N字でいうところの左下のスタートライン。まだ、何も始ま

小説投稿サイトのコンテストに投稿した作品のテーマを間違って執筆していた!?と思いきや、まさかの大どんでん返しが。『デタラメだもの』

まさか、こんなことが起こりうるのか? 唖然呆然としてしまう事態ってものは、数年に一度くらいは起こるような気がする。そして、それが起こってしまった。エブリスタという小説投稿サイトのコンテストに投稿する作品のテーマが『あと5分』だったにも関わらず、『あと5日』と勘違いして、壮大なるミスをやってのけたわけである。 なんのルーティーンかはわからないが、エブリスタのコンテストの結果発表は、後輩と安い居酒屋でお酒を嗜み、その途中、トイレに行っているときに行われることが多い。今回も例に漏

あなたも時代に取り残された表現者になってしまうかもしれない。抗えない時代の流れについて思う。『デタラメだもの』

何かを表現する者にとって、常に抗わなければならないのもの、それは時代の変化だったりする。もちろん、人々の共感を得ようと思ったら、新しいものに敏感であったほうがいいのは言うまでもない。しかし、問題は別のところにある。そう。過去作がどんどんと時代遅れになってしまうという危険性だ。 流行というものは必ず古びてゆく。なぜかって? それが流行ってもんだから。出会い頭的に人々に支持されるからこそ流行。となれば、また別のものが出会い頭的に出現した折には、皆々様方の興味関心はそちらへと移行

容姿を褒められれば嬉しいものだ。が、褒められ方によっては、屈折した感情を生んでしまうことも。『デタラメだもの』

他人から見た目を褒められて、悪い気を起こす人は少ないだろう。当然、悪く言われるよりは、良く言われたほうがいいに決まっている。たとえそこにお世辞の類が混ざっていたとしても、だ。 世間的に評価される見た目を持つ男女は、常日頃から、「タレントの誰それに似ていますね」などと持て囃される機会も多いだろう。今をときめく俳優、女優、芸能人、スポーツ選手などに例えられようもんなら、さぞかしその場も盛り上がるはずだ。 はて、自分の人生において、そのような機会があっただろうかと記憶を逡巡させ

絵を描くことが一切できない人間には、こんなにも壮絶なエピソードがあったりもする。『デタラメだもの』

それにしても絵の才能がない。才能というとおこがましいな。能力というべきか、絵を描くというプログラムが脳内に実装されていないと言わざるを得ないほどに絵が描けない。 誰もが描けるとされている国民的有名キャラクターの絵なども、まったくもって描けない。似てる似てないの問題どころか、どこかお化け的に仕上がるもんだから、周囲を恐怖のどん底に突き落としてしまう。それを見た者の多くは体調不良を起こし、きっと2~3日はまともな生活を送れない。 なぜ絵が描けないのか。そう、脳内で被写体のイメ

怒りやイラつきを鎮める方法として、こんなやり方はどうだろうか、という妄想じみた提案。『デタラメだもの』

例えば、遅刻しそうになって焦っている朝。猛ダッシュで道をゆく。しかし、目の前にゆったりまったりと歩く人がいるとしよう。その御方が半ば道を塞ぐような状況となり、どうにもこうにも抜くことができない。ただ、その御方のペースに付き合っていては遅刻してしまう。そこで人は、チッ、舌打ちをする。要するに、イラついてしまうわけだ。 しかし、人生、怒るよりも平穏なほうがいいに決まってる。物事はそっちのほうがスムーズに進む。平和的に行こうじゃあないの。なので、ここで思い留まるようにしてみた。否

物語を書くには脳みそを解放してやらねば。雁字搦めの日常の中で脳みそを自由にするには、なかなかの苦労が必要だ。『デタラメだもの』

物語を書くときの脳みそというのは、かなり解放を求めてくるわけで、日常雑多なことをやりながら、なかなかどうして脳みそが切り替わってくれなかったりもする。 何を思ったのか、140文字の文字数ピッタリで超短編小説を書く。それも毎日新作を公開するなんてことを打ち立てたもんだから、恐ろしいことに、自分に課した締切は毎日やってくる。雨の日も風の日も、もちろん風邪の日も酔っ払っている日も、容赦なく締切は迫ってくる。なんとか物語が書けるように脳みそを解放してやらんといかん。 その昔は、旅

年齢を重ねるごとに最近の曲の歌詞が覚えられなくなる現象。その謎をひも解いていると、生命の危機に遭遇したじゃないの。『デタラメだもの』

最近の歌がまったく覚えられない。好んで何度も何度も聴いているのに、歌詞は覚えられないし、メロディも難しい。鼻歌を口ずさんでいるときですら、何度も立ち止まってしまう。軽妙に歌って気持ちを愉快にさせる鼻歌でさえ、これほどまでに苦労してしまうのか。 それに比べると、若かりし頃に覚えた楽曲は、いつまで経っても忘れない。忘れようとしても思い出してしまう。歌詞の一字一句まで鮮明に記憶している。きっと、アーティストが急病でステージに立てなくなり、代役に抜擢されたとしても、完全に歌い上げる

歯ぎしりとの戦いにおける考察。全ての悩みを解決してくれる圧巻のアイテムは、果たして敵か味方か。『デタラメだもの』

生きていれば解せぬことは多いもので、あまりにも長いこと使用し続けてきたため、そろそろ買い替えようとエアコン。できればそう高くないものを。とは言え、安物買いの銭失いにならぬよう、9万円やら10万円程度のものを買おうとエアコン。無事に商品が見つかり購入し、いざ、エアコンを設置してもらうことに。 「これは設置、無理ですわ」と設置業者さん。どうにも室外機を設置することが容易でないスペースらしく、その日の設置は見送られ、商品もキャンセル扱いとなった。それどころかその業者さんでは設置を

日々の生活にオプションを加えることで、ルーティーン化した毎日が劇的に豊かになる。『デタラメだもの』

自然の中で食事をする。例えば、バーベキュー。そういった際に人はたいてい、「やっぱり外で食べるご飯は美味しいわぁ」と言ってのける。やっていることはと言えば、ご飯を食べているに過ぎないが、外で食べるご飯は美味しいわけだ。 いやいや。バーベキューは、火を起こしたりみんなで協力したりしながら食事を拵える醍醐味があるからこそ、「やっぱり外で食べるご飯は格別だわぁ」と言いたくなるんだよ。と主張したくもなるが、仮に自宅でお弁当を拵え、それを持参した上で自然に赴き、レジャシートで寛ぎながら

飲み会の場に遅れて参加するのは、とにかく気が引ける。迷惑かけたり悪口言われたりが気になって、足が前に進まない。『デタラメだもの』

よほどの権力者でもない限り、自分の時間というものは、ある程度、誰かしらに主導権を握られているわけで。特にお客さんを相手しながら仕事をしていると、そういうことは日常茶飯事。 さあて、仕事も終わったことだし、一杯やりに行こうかしらんと腰を上げた刹那、急な連絡が入り、「夜中までにデザインの修正やっちゃってぇ」などと依頼が舞い込んだりする。詳細内容を確認するために電話をかけてみると、先方は既に飲み屋。ガヤガヤと音がやかましく、内容が聞き取れないなんてこともある。人並みに殺意は覚える

卵かけ御飯について書こうとしていたのに、気づけばエッセイについてのエッセイを書いていた。『デタラメだもの』

外出を自粛したりすることで、物書きとして何に困るかというと、ネタに困ってしまう。あちこち出歩くわけにも行かず、街を行き交う一風変わった人たちを眺めることもできず、新鮮なネタに出会う機会がめっきり減ってしまうというわけだ。 もちろん、何らかの物事に対してそれを改めて見つめ直し、深堀りすることで、もはや当たり前になってしまった事柄に再び光を当ててあげることはできる。人が意識すらしなくなったものに対し、わざわざ言及したりすると、「変わった切り口だね」などと頭を撫でてもらうこともあ

数字を使って説明したり説得したりする行為は、ときに詭弁を弄している場合がある。騙されるな、数字のトリックに。『デタラメだもの』

人に何かを説明したり説得したりするとき、数字を用いると分かりやすいよ、伝わりやすいよといった定説がある。とどのつまり、「この道を真っ直ぐピャーッと走ったら、あっちゅう間に着きますねん!」という感覚に頼った説明よりも、「この道を真っ直ぐ3分ほど進むと到着しますよ」と、クレバーに数字を交えて説明したほうが伝わりやすいよね、という話だ。 とは言え、数字を駆使して説明したり説得したりする行為は、ときに詭弁を弄しているように思えて仕方がない。例えば多数決なんかが分かりやすい例だろう。

カラオケとは戦いの場。気を使わねばならないことが多すぎて、歌唱に集中なんてできるわけがない。『デタラメだもの』

それにしてもカラオケというものは、戦わなければならないことが多すぎて落ち着かない。歌唱を楽しみに行くというのが本来の目的のはずなのに、意識せねばならんことが多すぎるため、のんびりなんて唄っていられない。 人間という生き物は、大きくふたつに分けられる。それは、自らの歌唱中に、店員さんがドリンクを持って室内に入ってきた際に、歌唱を止めるタイプの人と歌い続ける人。このふたつのタイプしか存在しない。じゃあ、自分はどっちのタイプなのかというと、圧倒的に前者のタイプだ。 過去にカラオ