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音楽の道は冷静と情熱のあいだで切り開く

ライター 白銀 肇 (しろかね はじめ)(7)

「アーティスト」―この甘美な響きの言葉に憧れを持つ人は少なくないはずだ。スバキリ一味には、この「アーティスト」を名乗れる人がたくさん所属している。書道家、イラストレーター、絵本作家、元切り絵作家、そしてミュージシャン。

ドラマーで作曲家のイワシさんこと岩瀬翔さんは、スバキリ一味の初期の頃からのメンバーだ。

団長の小西さんからの依頼で、YouTubeのBGMの作編曲などを担当。

3月27日のスバキリ商店法人化記念パーティーでは、バンド「イワシフレンズ」を率いてスペシャルライブを披露し、場に彩を添える。

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音楽を仕事にするのはとても難しそうだとライターの私は感覚的に思うが、イワシさんはさらっと言う。
「音楽で食べていきたい人はたくさんいる。僕より上手い人も、人脈が豊富な人もたくさんいる。そんななかでも、やり方ひとつで音楽は仕事にできます。大切なのは、オーダーに対してどう答えを出すか、です。」

冷静と情熱のあいだーイワシさんの話を聞いていると、そんなフレーズが浮かんでくる。音楽に対する情熱を、自ら冷静に操れる…そこが彼の大きな強みだ。イワシさんの人生のストーリーは私たちに「夢中になったものを仕事へと育てていく」方法を教えてくれる。

音楽に初めて触れたのは16歳

イワシさんが音楽を始めたのは意外にも高校生になってから。友人に誘われ、軽い気持ちでオーケストラ部に入ったのが最初だった。それまではCDもほぼ買ったことはなく、入部時は、絶対音感のみならず相対音感(基準となる音との相対的な音程によって音の高さを識別する能力)も驚くほどなかったという。

「音感なさすぎてどうしようと思ったときに、打楽器があるじゃんみたいな感じ」でパーカッションを担当することに。やり始めたらとことんやりたくなる性分で、音程がある打楽器ティンパニに触りだしたのをきっかけに、音感を鍛えようと家でギターの練習を始めた。

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また、オーケストラ部でクラッシックを演奏するのと並行して、中学の後輩であるジャズピアニストから誘われてジャズも演奏するように。高3でドラムをはじめ、音楽の世界にのめり込んでいったイワシさんは、本格的に音楽活動をするために「勉強をあまりしなくても卒業できる」大学を選び、進学することにした。


朝から晩まで音楽漬けの大学時代

大学で独り暮らしを始め、「抑圧から解き放たれた」ように、音楽漬けの毎日を過ごすようになったイワシさんは、吹奏楽部・ギター弾き語り同好会・ジャズ研究会の3つを兼部。そのうえ姫路駅前でほぼ毎日、ひとりで路上ライブをしていた。当時は珍しかった「カホン」という打楽器でのライブは人気を集め、イワシさんの名は姫路で広まっていった。

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路上ライブを繰り返すうちに、同様に演奏している人たちに片っ端から声を掛け、即興のセッションをするように。高校時代からジャズをやっていたため、即興能力に長けていたいわしさんは、どんな人のどんな曲にも、合わせることができ、「超能力?」と言われるほどだった。

路上でのつながりから、ライブハウスでのライブにも呼ばれるようになり年間200本ものライブに出演。4年になり、就職活動は一応したものの、興味を持てる会社には出会えず、音楽で食べていくと腹をくくった。

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忘れてはならないのは、ひたすらに音楽に没頭できた学生時代も、運よくそうなったわけではなく、彼が自らその環境を選び取ったという点だ。この能動的なスタンスは、音楽を仕事にしてからも変わらない。


仕事にするということ

すでにアーティストのサポートとして演奏し、収入を得ていたものの、個人事業主となるにあたって、経営の仕方が分からない、と感じたイワシさん。「だったら、社長さんに聞こう!」と思いつき、それまで貯めていたお金をつぎ込んで、高級な飲み屋やバーに通った。バーのマスターに常連の経営者たちを紹介してもらい、仕事の取り方や回し方などを教わった。

本を読むでもなく、セミナーに参加するでもなく、必要な情報を持っていそうな人に直接繋がる方法を探る―これができる人は、どんなときも仕事に困らないだろうと感心してしまう。このとき教わったことは、その後イワシさんが音楽で食べていくための大切な基盤となっているという。

「稼ぎの柱を1本に絞るな」

ある経営者のこの言葉に、それまでずっと演奏しかやってこなかったイワシさんは「教えるのも好きだし、講師業でちょっと頑張ってみよう」と考えた。そして教え方を学ぶために、自らいくつかのレッスンを体験。教える技術を身に着け、持ち前の度胸と営業力で、ドラムの先生がいないだろうと思う教室に売り込んで回った。そして、そのうちの1つで実際に教えることになる。

やればいい、と人から教わって、すぐに動ける人は案外少ないと思う。ライブ活動だけで、月30本の出演があったというのだからなおさらだ。

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「演奏の方は、自分の技術に自信があったから、1度仕事をもらったら、次は紹介してもらえるだろうと思っていたんです。だから、紹介してくれる人を100人つくっておけば、仕事はどんどん来るだろう、と考えていました。」

そして予定通りにことは進み、ライブでの演奏を中心として、間に講師業をするという忙しいスタイルを数年続けていた。そこにコロナが襲う。


冷静さを味方につけて

ライブが軒並み中止、という事態で、イワシさんは「2本目の柱」に救われることになる。収入源が音楽教室の講師業のみとなったタイミングで、それまで所属していた音楽教室の方針に違和感を覚えはじめていたこともあり、独立。生徒は全員、イワシさんに教わりたい、とついてきた。

そして同時期に始めたのが作編曲の活動であった。そこにはこんな「読み」があった。

「ライブ活動ができなくなったミュージシャンは、CDというかたちで自分の作品を届けようと思うだろう。そうなれば、しっかりとした作品にするために、編曲が必要とされるはずだ。」

手持ちの資金をつぎ込み、必要な機材を揃え、SNSで作編曲を始めたことを告知すると、さっそく依頼が入った。そして初めて編曲した曲がTVCMに採用されたというのだから驚きだ。
そして今では作編曲の収入は講師としての収入を超え、総収入はコロナ前よりも増えた。

できないことを嘆くのではなく、できることを探す―変化の絶えない社会において、この能力は、自分の望む人生を送るためには不可欠なのだ。そして、「できること」の条件に「情熱を持てること」が入っているからこそ、イワシさんは、自分らしい道を進んでいくことができているのだろう。

<イワシさん作編曲の“水鏡”>


これから―自分で道を描いていく

イワシさんは、理論を学ぶことから始めるのではなく、実例から自分に必要なものを身につけていく人だ。演奏も、仕事の仕方も、ドラム講師としての教え方も、作曲の方法も。教科書に載っていないところから学んでいくからこそのユニークさが、彼の音楽や生き方の魅力になっている。

だからこそ、これからの道も、自分で自由に描くことができるのだろう。

「僕、ゲームとかアニメとか、日本のオタク文化がめっちゃ好きで、何とかしてそこに自分を組み込んでいきたいんです。VTuber事務所、立ち上げたいですね!」と笑うイワシさんからは、好きなものに対する情熱が溢れ出ている。そして早々にVTuberのオリジナルソングを提供したり、配信内で使えるBGMを作曲したりと、夢に向かって確実に動き出している。

ミュージシャンがクラウドファンディングのプロデュース集団に参加するなんて、それこそ教科書的ではないだろう。しかしイワシさんは「スバキリ一味に関わる方が音楽を必要とするときに、僕のことを思い出してもらえれば嬉しい」と今週も定例会に参加する。このイワシさんの想いが誰かのニーズと繋がったとき、ワクワクする新しい何かが始まるのだろう。

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取材・執筆 石原智子

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