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老いらくの恋 第9話

古代史に恋しています。
第8話につづいて古代史の魅力を紹介しましょう。
今回は慶州(キョンジュ)です。

韓国国鉄の慶州駅です。釜山(プサン)から急行列車 槿(ムグンファ)で約2時間の交通の便のよいロケーションです。
駅前でポーズをとっているのは節子です。

慶州は町そのものが世界遺産です。駅前には、いきなり大きな古墳があります。

古墳のすぐ側まで行け、手で触ることが出来ます。

また23基の古墳を集めた大陵苑 (テヌンウォン)古墳公園があります。

この写真は大陵苑です。日本の古墳とは趣が違いますね。

慶州の近くには世界遺産が一杯あります。

石窟案

慶州は新羅の都でした。
「新羅」これはどう読みますか。
歴史では「シラギ」と読みますね。でも日本語表記としては不自然です。
平安時代の武将に源の義光という人が居ます。琵琶湖に面した新羅神社で元服したことから“新羅三郎”と呼ばれました。呼び名は「シンラサブロウ」です。この呼び名は自然ですね。では何故「シラギ」なのでしょう。

韓国では「シルラ」と発音します。
朝鮮半島には北の大陸と接する地に「高句麗」と西南海岸沿いの百済、東海岸沿いの新羅が覇を争っていました。
新羅は西暦660年に百済を、同668年に高句麗を滅ぼし、新羅により朝鮮半島は統一されました。
百済滅亡に際して百済から亡命してきた皇子の依頼で、時の天智天皇は5万もの大軍を百済の残党応援のために出兵します。西暦663年のことで、白村江(はくそんこう)の戦いで、新羅・唐の連合軍に大敗しました。

私は不思議でなりません。
何故天智天皇は国運を傾きかねない5万もの軍勢を出したのでしょうか。当時の日本の国民がどれほどいたか知りませんが、おそらく今ロシアがウクライナに派遣している兵隊より人口比では大きかったのではないでしょうか。
天智天皇は新羅・唐連合軍の日本襲来をおそれて、西日本各地に防衛のための拠点(城)を大慌てで作りました。
最も有名なのが岡山県総社市の山にある「鬼城(キノジョウ)」です。
なぜかそれまでの日本のお城とは異なり朝鮮形式の山城です。
これと瓜二つの楼門が釜山の山にありました。

城の壁は日本で珍しい版築構造です。
なぜ朝鮮形式の城なのでしょう。
何故こんな山中に巨大な城が必要なのでしょう。
定説では、瀬戸内海を東進する新羅・唐連合軍を襲うために作られたとされていますが、私にはとてもそう思えません。
登ってみるとよく分かりますが、遠くに瀬戸内海が見渡せますが、敵軍を見つけても山を駆け下りて襲える距離ではありません。まして船で東進する敵にはまったく無力です。海路半島からやってきた軍はそのまま船で東進するでしょう。私はこの定説を疑っています。韓国のお城、例えば熊津城(ユージンジョウ)もそうですが、韓国のお城は敵がせめてきた時に民衆が逃げ込むための避難場所の役割だとか。これなら納得です。

この鬼城も節子と訪れました。一見の価値があります。
岡山は不思議なところです。
吉備津神社、吉備津彦神社、造山古墳(日本で4番目に大きい前方後円墳)
桃太郎伝説、温羅(ウラ)伝説など、なぞがいっぱいです。
また岡山の北には出雲王朝がありました。
次回 第10話で紹介しましょう

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