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リズムがあることが安心と快楽を生む
日曜日は休み。
という感覚はリズムだと思う。
それはあくまでも一般的なリズムであって、裏拍、つまり逆のリズムの方が得意な人もいる。
人間の感覚というものは音楽に収束されるところはあり、最終的にはシンフォニー、交響曲になるのだなと思う。
それは完全になにをしてもいい、ということではなく、あくまでも全体のリズムのなかでの立ち振る舞いがその楽器らしくあるかどうかが重要だ。
それはビジネスにも同じことが言える。エンターテイメントを職業にしている人は日曜日こそ決戦であり、人の休みをどう彩るかにかかっている。
生活を支える人たちは平日がメインであり、日常的に機能するかを仕事とする。
人間の営みというのは基本的にその二つのリズムの中でできている。
束縛と解放。生活と享楽。死と生。現世と常世。
要は陰陽である。
どちらが陰か陽かなんていうのはどちらから見たかの話であり、花と草と根と種のどれをメインとするかなんていうのはどこから見てなのかという話に過ぎない。
そして今日は日曜日で、私は家族と過ごしている。娘がジムに行きたいと深夜に言い出すのでそれに付き合ってストレッチをしながらブログを書いている。
それを休日と取るのかは仕事目線の話で、仕事以外の日々の生活をメインとするならば仕事こそが休日となるのかもしれない。
ただ、一つ言えるのはどちらも楽しめるというのは心の余裕である。心の余裕はリズムとリズムの間にあり、そこが長く取れる人ほど美しく見えるものだ。
少なくとも音楽やダンスはそうである。
ビジネスもおそらくそんなもので、なぜか大経営者ほど生活も楽しんでそうに感じるものである。
実情は大経営者になってみないとわからないが、もし生活を楽しめないならばどんなに儲かっても意味性を感じないあたり、私は余白を美しいと思ってしまうタイプなのだと思う。
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