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ブログを書く意義とゲームをするモチベーション


最近、更新が止まっている。なぜ止まっているかというと簡単で、書く意義を自分の中で消失しているからだ。

ブログを楽しみにしている人というのが一定数いる、というのは理解していてもなかなか一方的に手紙を送り続けるというのは意識が途切れる。

ただでさえLINE一つ返すのに苦戦しているのに、いわんやブログをや、である。


そして読む人にも、私のブログを読む意義は足りないと思う。


なので意義を作るということはした方がいいなと最近再確認する。

土岐から何を得たいのか、と私が何を与えられるのかが一致した時に読む意義というのが生まれる。

そしてその意義とは「ビジネス」「人生」をうまく行かせたい、ということと思考方法を知りたいと言うことなのだと思う。


ようやく事業も10年になり、毎月会社に何千万もはいることも経験したり、逆にコレは危ないか!?ということも経験している。

私に何かしらの対価を払ってウェブビジネスの成立の仕方を習ったことがある人は1.5万人を超えるだろう。

チャレンジしてきた事業は50はゆうに超えると思う。

そして最近見えてきたことは、「フレーム」と「エネルギー」、そして「数字」が大事だということだ。

この辺りをまとめる概念が自分の中で構築されつつあり、発信の機会を考えている。

一つ言えるのは我々は全員、誰しもある種のゲームの中に存在していて、そのゲームに自覚はなくとも多かれ少なかれ参加させられている。

そのゲームのルールを理解して立ち振る舞うことでしか相対的な幸せは得られないということだ。

「自我」というのは、相対の中で生きるために感じてしまう反応であって人間社会にいる以上流れることは難しい。

お腹が減ったら辛くなり、愛が欲しくなったら辛くなり、肉体的に不快だったら辛くなる。

お腹が満たされれば幸せになり、愛が満たされれば幸せになり、肉体的に快適なら幸せになる。

その差は「辛」「幸」の字のごとく横棒が一本あるかないかの差でしかない。

そしてその横棒は、結局自分の参加しているゲームのルールを理解して、そこに適切なアクションを加えるかどうかだけなのだ。

自分の感情は実はゲームのルールに右往左往している。

その証拠に殆どの人はただ、銀行口座の数値が低いというので不幸を連想するし、好きなモノを失えば不幸な感情を味わうのだ。そういうゲームに参加させられている。


5歳の頃に銀行口座の過多で幸不幸を考えている人は少ないものだ、なぜならまだそのゲームに参加していないから。


コレを読んでいるあなたは何のゲームに参加している、もしくは参加させられているかを考えてみるといい。

そしてそのゲームで幸せになるためにはどうするのが良いのかを考えてみると良い。


私はこの前、娘と一緒に2人でご飯を食べに行って、そのあと妻が合流して3人で地元の寿司屋で店主と談笑する一時を迎えた。

私の参加しているゲームの一つはそんなことが幸せを感じる瞬間だったりする。

ではそれを複数回行うためには、どんなことを継続すれば達成されるのだろうか?

あなたのゲームはどうだろう?

そして、どんなゲームにも法則があるとしたら…あなたは知りたいだろうか?

ぜひ知りたいと言う方はこのLINEに登録してほしい。近々そのゲームの法則について話す機会を作ろうと思う。

ライン公式はこちら
https://lin.ee/0CUG77

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