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トイレとお金の共通点。

自分の中で決めたルールというのが人間にはある。ある種の倫理観というものであったり、それを人はメンタルブロックと呼んだりする。

無意識であれ、有意識であれ常にそれは存在している。もしあなたが、毎日基本的におしっこを漏らさないでいられるのであればそれはあなたのマイルールのおかげだ。

もし、メンタルブロックや倫理観がなかったら基本的にオムツは必須である。オムツというのは基本的に自分で履くものではなく親に履かされるものだ。

しかし、我々は成長するに従って社会的立場を獲得しようとしておしっこを我慢しトイレに行くことを覚える。

トイレにいけるようになった子供はほとんどの場合

「偉いね!!!」

と言われる。

社会的立場の獲得の開始

そして、我慢しておしっこをトイレですることは「偉い」。つまり社会的立場が良くなるのだ。

さらに漏らすと怒られたり、社会的な立場が弱くなるということを学習しだす。要は漏らしたら非難されるということを学ぶ。

恥ずかしいというのは社会的に傷つけられることを恐怖する瞬間だ。もし社会が存在しなかったら恥じらいは存在しないだろう。

諸説あるにせよ、昔はもっとオムツが取れるのが早かったらしい。なぜならば布オムツだったからだというのだ。

今のオムツは優秀すぎて、漏らしてもあんまり不快ではないらしく昔のオムツはめちゃめちゃ不快になったとのことだ。

つまり幼児は「偉い」「偉くない」うんぬんの前に自分の不快感ベースでもあんまり漏らすのは得策じゃないことを学ぶ。

余談だが猿はトイレトレーニングだけは何故かできないらしい。犬は出来るが猿には難しい。鳥も同様らしく、木の上で生活しているからいくら漏らしても不快感に結びつかないようだ。

今までの話は全部比喩である。

つまるところ我々は常に

社会的な理由と自己防衛から何かを我慢したり制限する瞬間がある。

ということだ。

たとえばだが、酒を飲んではいけないよ!ということを幼児に教育する。これは社会的な理由と、幼児を守るためだ。

しかし大人になるとお酒は普通に売っているし買える。ただ、我々はお酒は体や社会的に悪いということをほとんどの人が「なんとなく」知っている。

この「なんとなく」が弱いと特にお酒に対しての社会的な不快感はないから、特にお酒にチャレンジするのは難しくない。

が、そのあたりの罪悪感を強く感じる家庭などで育つともちろんお酒を飲むことは難しくなる。

これはよくいう「お金に対するメンタルブロック」というのも同様だ。お金持ちであることを表明するのは下品だ、美徳的ではないという感覚をもっているだけの人と、知っているだけの人がいる。(知らない人もいる)

ここに実はお金に対するトイレトレーニングが始まっているのだ。

つづく。



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