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どちらかと言えばどちらかと言う

9月27日。
午前中、早起きして仕事。このところはずっとテキストを書いてるんだけど、編集さんから漫画パートの進捗メールが来て気持ちがたかぶった。嬉しい。時間はかかるが、進んでいる、着実に…。

午後、国会前で国葬反対デモ。
前日の晩に作ったプラカードを持っていく。
スピーチ、コール、掲げられるメッセージ。「そうだそうだ」と思ったり、時に「それはどうか」と思ったり。Twitterには「デモなんて意味ない」「もう決まったのに」「うるさいだけ」などの辛辣なツイート。一方で、安倍元首相や自民党への批判を強く繰り返す人も。極端できつい言葉の連発を見続けるのは自傷行為みたいだな、と思って画面を閉じる。

極端な言葉を使っているとどうしても反対側を敵、思想が似ている人を味方、と二分したくなりがちだ。だからこそ、自分にはそういったクセがあるんだということを意識していたい。自分とは逆の意見の人の中に、共感を見出してもいいし,同じ志の人に異を唱えてもいい。

それは決して「どっちつかずの中立」というわけではない。「あの点についてはOK。この点については許し難い。で、総合的に見て6対4くらいかな」という感じであってもいいから、一応の結論は出しておく。でもそれが揺らぐことも覚えておく。
Amazonで言うなら、星3.5って感じ。自分にも他人にも、それを許したい。難しいけど。

夜、ニュースを見る。熱く反論の声を上げる人に「そうだよね。ムカつくし悔しいよね」と思いつつ、献花に並ぶ人の映像に「この人たちも悲しいんだよね」とも思う。
そう、だから、私が批判したいのは政策の方であって、それを支持する人を敵認定したいわけではないのだ…。

テレビを消す。氷と熱湯を同時に持とうとしているような震えがある。


今日の絵

片側は張り詰めている


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