病に良し悪しはあるか(自己表現展の話)
どんどん報告が遅くなる「おでかけ記録」ですが、いいんです。記憶はいつも鮮度抜群なので…。
障害のある方のアート展を見かけると私は、嫌悪感ではないけどどうにも肯定しづらい、微妙な気持ちになることが多いです。ただ、造形教室の作品にはそういった気持ちを感じない。その理由を、作品を見ながらずっと考えてしました。
それは明るく健康な目線からの、いわば“健全ウォッシュ”が入っていないからなのだと思います。
かといって、健康であること、病んでいない状態の人に対して、強く牙を向くわけでもなく、淡々と、病者の目線を描いている。そこに、創作の魂の重さ、深さを感じるのです。
入り口には大きな写真と共に次のような文言が記してあります。
「病んでいるといわれているうちに描くのは
実は千載一遇のチャンスなのだ」
私は、入院しているときによく「早く良くなるといいね」と言われました。
優しさからの言葉であることはわかっているし否定する気も全くないんだけど、その言葉を聞くたびに「私は“悪い”んだろうか」とどこか引っ掛かりを感じていました。
「病ではなくなる」ことが、必ずしも、自分の人生にとって良いことだとは思えなかったのです。「結果として病から脱することはあれど、そこを唯一の目標とするのは何か違うんじゃないか?病である自分は“悪い”のか?」。そういった思いと「でも私は間違えているのかな」という思いが常に交錯していていました。
それは今も同じです。
造形教室の作品展は決して明るくハッピーだったりかわいいものではありません。でも見ていると「ああ、自分も自分の病んだ部分を、否定せずにおこう」と思えます。
肯定はしなくても、否定しなくても大丈夫。大丈夫じゃないけど、大丈夫じゃなくてもOKとしよう。そんな気持ちになれるのです。
ちょっと古い映像ですが、造形教室を舞台にしたドキュメンタリー(の予告動画)です。