見出し画像

心の触り方(「あ、共感とかじゃなくて。」展の感想)

東京都現代美術館で「あ、共感とかじゃなくて。」展を見る。

共感とは、自分以外の誰かの気持ちや経験などを理解する力のことです。相手の立場に立って考える優しさや思いやりは、この力から生まれるとも言われます。でも、簡単に共感されるとイライラしたり、共感を無理強いされると嫌な気持ちになることもあります。そんな時には「あ、共感とかじゃなくて。」とあえて共感を避けるのも、一つの方法ではないでしょうか。

東京都現代美術館「「あ、共感とかじゃなくて。」展 解説より
美術館の前に立っているトキンのイラスト。武田力さんの作品の絵。軽トラの中に昔〜今の教科書がたくさん入っていて、読むことが出来る。自分が使った教科書のことを考えたり思い出したり。自分では「私の勉強の思い出」として考えるけど、こうしてたくさん並んでいると「自分の学びも、それまで学んでいたから成り立ったのだな」というのが感じられて面白かった。山本麻紀子さんの作品では、その土地、土地の色を残す様々な植物や落とし物、木の実や小瓶などなどを部屋に見立てた空間の中に並べている。失われたはずのものでできた小宇宙のようだった。
渡辺篤さんの作品「同じ月を見た日」。この作品を目当てに来たので「やっと見られた!」という気持ち…コロナ禍になってから様々な人が撮影した月の写真が並んでいる。会えない時間を多くの人と共有する、そしてそれがこうして大きな形で作品になる…。なんだか不思議な感じ。 アイム・ヒア・プロジェクトという名義で制作した、ひきこもり当事者の方々との制作がとても良かった。「良かった」というのかわからないけど…。当事者の方の部屋の写真が飾られている作品があったのだけど、その展示がガラス越しで、しかもカーテンをのぞかないと見えない仕組みになっていて、すごく良かった。この写真を提供した当事者のハートを丁寧に扱っている感じがして。写真それぞれはハードなんだけど、それをこうして丁寧に作品として作られていることに、作家と当事者、双方の信頼を感じたし、当事者と対等に、リスペクトを持って取り組んでいる作家の姿勢が見えて素晴らしかった。
しかし展示(企画)全体としてはいまひとつ、散漫というか、ちょっと投げっぱなしに過ぎるような感じがあった。“わからなさ”を感じる…というメッセージなのはわかるけど、展示のコンセプトのひとつである「今ここにいない人のことを考える」の「ここにいない人」の想定?が曖昧に感じた…?いや、違うかも!上手く言えないんだけど…一部の作品をのぞいてはいまひとつ「!」と思えなかったかな。好みだが…。入り口には丸いランプが下がっていて、これは実際にここに来られな買った人(たぶん生きづらさの当事者かな)が遠隔でつけたり消したりしているらしく、心がギュッとなった。優しくもあり、苦しくもあり、安心もある…。希望も絶望もあるのだろうし、しかしこれをこうして作品にするというのはまぎれもない希望だろうと感じた。作り手本人が作品を通じて当事者に関わるのって独特の難しさがあると思うんだけど、その難しさや複雑な関係を越えること、越えないことのポイントが見えたような気がした。単に思いやりとかだけではないのよね。全然…。

しかしながら、渡辺篤さんの作品はすごかったです。
作品集を買ったのですが、読みながらあまりの迫力に胸が詰まりました。心に何か痛いものを持っている人は見てほしい。痛みを否定せずに、手を添えるってこういうことなんだと思った。

ただ、「あ、共感とかじゃなくて。」展が総評としてあまりピンと来なかった理由を、見終わったあとずっと考えていた。
展示テーマへの違和感であるような気もするし、作品個々に対する感想かもしれないし、もっと個人的な背景のような気もする。
なんにせよ「腑に落ちなかった」というのも体験なので「なんだかな」としばらく思っていても良いのかもしれない。

全力でフリーペーパー発行などの活動費にさせていただきます!よろしければ、ぜひサポートをお願いします。