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違う暮らしのどこかで

高校の同窓会に行ってきました。

私はしばしば「学生時代に悔いがある」「同窓会とか企画しちゃう人のコミュ力は別次元」とか斜に構えてるんですけど、開催されるたびに割とマメに同窓会に行っています。
参加の頻度は悔いの深さなのでしょう…。

元クラスメイトというのは当然年齢が同じわけで、それぞれの環境や考え方に変化を聞いたりしていると、歳を重ねるごとに会うのが面白くなってくる。

私は高校を途中で辞めているので「自分だけうまくいかなかった」という卑屈な思いがだいぶありました。でも時間がたつと善かれ悪しかれそれぞれ色んな人生になっていくわけで「私だけ」どころか「まあみんな色々あるな」という大きな括りに自分など混ざってしまい…気が楽になりますね…。

しかし、みんなと話している中で、私が高校の時ほぼ双子のように親しくしていたWちゃんという友達の話が出て、それは、なんだかしみじみしてしまいました。
私は学校を途中でやめたし、なんとなく疎遠のまま連絡先が解らなくなっちゃったんだけど、今思うと、10代の繊細な心の中で、言葉にならない何かがあったのだろうと思う。当時の同級生も誰も何も知らないとのこと。

分岐した生活の中で一瞬でも会えたら、泣くほど嬉しいと正直20年以上(!!)全く変わらず思っているんだけど、誰とも連絡を取っていないところを見ると、まあ、あんまり思い出したくないのかもな。
しかし何にせよ、Wちゃんがどっかで幸せで暮らしているといいな。本当に!

しかし、こうして時間が経っても会いたいと思える人がいるって、ありがたい事だ。みんな色々ありつつ、なるべく笑って、また会えたら良いね。


今日の絵

昔の絵を発掘シリーズ。
最近、HDDを引っ越したので色々出てきたのです。

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