俳句と作文「四月」
とんがった鉛筆のよう春の恋
by さとうえいこ
エンゼルス大谷選手の真似をして
倉庫から久々五月人形を
出してきました(^o^)
う~む、ほこりかぶってる(;'∀')
四月ももう真ん中過ぎて
しまいましたね。
皆さんはどんな新年度の始まり
だったのでしょう(^ ^)
私は…とりあえずお花見は
行ってきましたよ!(^^)!
宮城県大河原町の一目千本桜です。
今年は植樹から100年という
節目だったようです。
植えたのは「高山開次郎」さん。
若くして東京で働きにでて、
努力して実業家として成功して、
地元の白石川沿いに
1200本のソメイヨシノを
寄付されました。
今のお金だと約2000万円と
いわれているから
ありがたいですね(*´∇`*)
後世の故郷がこんなに
桜の美しい川沿いになるなんて。
庭にパンジーを買うのもケチって
選んでいる私を反省(^▽^;)
小さくても癒される空間を
作りたいものだとは思いました。
さて、
息子たちも社会人になり
四季の学校行事や習い事、
模試、就活などに
振りまわされることもなく…
嬉しいような
ちょっと淋しいような微妙な感じです。
でも
四月をいうと一番いやな
思い出があります(^_^;)
それは大学進学で
仙台で一人暮らしを始めた年の四月
です。
辛かったですね~。
もう何十年も前ですから
忘れちゃえばいいのに。
私は秋田の出身です。
高校生の私、
今みたいにネットの情報もなく
進学情報誌を頼るしかなかったです。
本当は秋田にいたかったのです。
でも自分の成績からして…
そして、自分が興味のある学科として
仙台市の大学に入りました。
そのころの私にとって
仙台は東京に行くくらい都会で
人生全て変わったように
ビビッてました。
まだ秋田新幹線もなかったし。
せっかく親がお金を出してくれた
一人暮らしにありがたいと
思いながらも後悔ばかりでした。
大学に行っても積極的な人ばかりに
見えて、自分から話しかけることが
できませんでした(^^;;
きっかけはあったはずなのに
文化の差?というか…
自分は田舎者だーと
思い込んでたのかも。
後から考えればみんな地方から
来てるはずなのに(^◇^;)
私は長女だったせいか
親の前で泣いたことは
ありませんでした。
(赤ちゃんの頃を除く)
中学の時に友達と嫌なことがあっても
玄関の前で涙を拭いて家に入ってました。
でもでも、
大学1年生の4月、
親の前で号泣しました(T_T)
母が心配して仙台に来て
私を癒そうと作並温泉に行き
私の背中をゴシゴシしてくれたことを
覚えてます(^_^;)
それでもダメで、
秋田の実家に行き
「もう大学辞めたい。さびしいし、
私の居場所がない」と座り込んだり…(◎_◎;)
よく考えれば入学したばかりの娘が
出戻ってきたなんてことあったら
噂好きのご近所、いえ狭い町では
私はよっぽどダメな娘になる所でした。
そんなことその時の私には
頭になく、ただ泣いてましたね。
父が私に送った手紙を覚えてます。
「えいこという電車は走りだしてしまったんだから、もう戻れないんだよ。
がんばれ」と。
う~泣ける…
でも、今だったらいろんな選択肢が
あるから戻ったり、
方向転換できたかもと思ってしまいます。
それが私の五月病…いや四月下旬病でした(^O^)
あっ、その後ですか?
あはは(^◇^;)
同じアパートの女の先輩に誘われて
サークルに入りました。
アマチュア無線部です!
そうです…男子が多いのです(^_^;)
女子高出身のえいこちゃんにとっては
男子と会話することが、
楽しくなっちゃって、
みんなでドライブしたりコンパしたり…
秋田への里心は隅っこにいってしまいました。
やれやれ。
そんなこんなで
恋愛も就職も結婚も子育ても
宮城のまま今に至ります。
でも、やっぱり秋田のふるさとは
私の原点です(^^ゞ
皆さんも、
忘れられない四月って
ありますか(^.^)
駄句一句
とんがった鉛筆のよう春の恋
by さとうえいこ
もしかしたら、
あの頃の自分の心も、
とんがっていたのかもしれません(^^;)
私ごとを書いちゃいます。
今月の「青山俳句工場05」で
この俳句、結構たくさんの皆さんから
共感して頂きました。
嬉しかったです(^O^)
長くなりすみません。
ではでは(^^ゞ
ありがとうございます。
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