見出し画像

ルーティーン


 2023年もすっかり4ヶ月も過ぎてしまいました。年々時が経つスピードが増してる気がするのですが、気のせいでしょうか?

間も無く夏を迎えると言うのに、今年の正月の話をします。
今年も年末年始はぬるぬると3人の幼馴染の親友と過ごしていました。

大晦日には、朝から何も考えず御千代保稲荷に行き、夜は学生時代から通ってる居酒屋で何も考えず年を跨ぎ、年明けにはスーパー銭湯でこれまた何も考えず汗を流し、三が日には完全に腑抜け状態でモーニングをする。かれこれ20年余り続けている習慣です。
毎年変わらないけど飽きもしない、もともとその土地にあった慣わし、もしくは伝統であるかのように、一抹の疑問も抱くことなく行われていくルーティーン。


 4人で囲むテーブルは何かゆるめの磁場を発しているのか、いつも何かのモワンとしたガスだまりの中に浮遊しているような感覚になります。もう少しわかりやすく例えるなら、思春期特有の心許なさと安心感の狭間にいる様なむず痒い感覚。いや余計わかりにくいか。

もちろん日々歳や経験を重ね、話す内容もなんの潤いもないカラッカラの砂漠みたいな事ばかりなので、まるで10代の頃に戻ったなんて図々しい事では無く、しっかり「年相応の同年代と話している」のですが、確かな事は、完全に激戦である社会の中の日常とは切り離された空間にいると言う事です。こんなにゆるく、何も考えないでいられる時間ってこの時くらいなのでは?と思います。
それは、おそらく自動的に一年で溜まりに溜まった精神的な荷物をまとめて断捨離しているのでしょう。
1年の間に溜まった垢を落として再び新たな垢を積み重ね、また落とす。その繰り返し。もちろんそれもノー思考です。

なので、今日も新たな垢をペタペタ無意識にくっ付けながら慎ましく暮らしていきます。1年後のその日まで。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?