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YouTubeとはセルフポートレートである - 美術史と現代におけるざっくり考察

YouTubeとは、セルフポートレートである。まさかここにきて自分がセルフポートレートをやるとは思ってもいなかった。

セルフポートレートと言えば日本では森村泰昌、蜷川 実花、荒木 経惟のことを思う。森村さんを西洋絵画コンテクストを刺す正統派とするなら、蜷川さん初期は私写真的純正、中期以降の花は反射(ミラー)系、荒木さんは森村さんと蜷川さんの複合系となる。

全ての写真はセルフポートレートだ、という論調はやや乱暴な話しだが、日本の私写真の文脈には少なからずそのような気分がある。時にそれらは自己満やオナニーや閉じた世界と行ったネガティブな表現をされる。ゼロ年代までの90年代の世界系ともリンクする。

その90年代の世界系にリンクされるセルフポートレートが、iPhoneというデバイスの台頭によってコモディティ化した。ゼロ年代という空白を挟みながら現代では総ポートレート時代になり、またもゆるく90年代=私写真の文脈に自動的に接続されているのは興味深い。

セルフポートレートを深堀りするにあたり、写真文脈でシンディーシャーマンに至る以前の、西洋絵画の歴史を俯瞰してみよう。

西洋美術の中でのセルフポートレート

最初のセルフポートレートは、15世紀にドイツの画家アルブレヒト・デューラーによって描かれた。この時期、芸術家は自分自身を描くことが一般的でなく、自分自身を描くことは自己表現のための手段としてはまだ一般的ではなかった。しかしデューラーは自分自身を描くことによって、自分自身の外観と個性を探求した。

その後、セルフポートレートは芸術家たちにとって非常に重要な表現方法となる。17世紀には、オランダの画家レンブラント・ファン・レインが、自分自身を何度も描いたことで知られている。レンブラントと言えば光と影、自分の顔。彼は、自分自身を描くことによって、自己表現を行いながら技術的なスキルを磨いた。今の写真で言っても、撮るモデルがいないから自分を撮る、という方向性は少なからずある。やや哲学的だが、自分はいつでもここにいるからだ。

19世紀にようやく写真の登場により、セルフポートレートがますます一般化した。写真家たちは、自分自身を撮影することで自己表現を行い、技術的なスキルも磨いた。セルフポートレートは、写真家が自分自身を撮影することによって、自分自身を認識し、自分自身について学ぶ手段としても使われた。これは精神分析の分野に派生する。

20世紀にはアメリカの写真家シンディ・シャーマンが登場。シンディは自分自身を様々な役割に扮して撮影し、自己表現を行った。シンディーシャーマンから引用したのが森村泰昌である。また、イギリスの芸術家トレイシー・エミンは、自分自身を描いた絵画や彫刻を制作することで自己表現を行った。

西洋美術の文脈から、写真におけるセルフポートレートの接続はおおまかに以上のような流れ。

現代のセルフポートレートと今後

今、セルフポートレートは、SNSやインスタグラムなどのソーシャルメディアで一般的なものとなり、誰でも簡単に自分自身を撮影し自己表現を行えるようになった。また、写真技術の進歩によりセルフポートレートをよりクリエイティブに表現できるようになった。ミッドジャーニーは言語による生成だが、写真を読み込ませるタイプのAI画像生成でもセルフポートレートを制作できる。SNSのアイコンが生っぽいからといって、自分の写真を読み込ませて絵画風にすることは普遍的となった。

西洋美術の歴史において、自己表現の手段としてセルフポートレートは重要な立ち位置を持っている。写真の発明により、セルフポートレートはより一般的になり、現在ではSNSやインスタグラムで広く行われている流れ。自己愛的であるとしばし批判されながら。

今後のセルフポートレートの進化については、予測すること困難だが、技術の進化によって、より多様な表現が可能になる可能性はある。既にAR技術を用いた仮想空間でのセルフポートレートや、AI技術を使った自撮りアプリが増加していることからも、これらの技術がセルフポートレートの進化に寄与する可能性がある。snow等の極端にマスクやエフェクトをかけられるようなものは、シンディーシャーマンや森村の「変身」するポートレートと接続する。

社会の変化によってもセルフポートレートは変化するだろう。現在の社会では、良くも悪くも自己表現が重視される傾向にあり、それに伴ってセルフポートレートも一般的になっているということがある。しかし将来的にはこの価値観が社会で同じように扱われるかどうかはわからない。その時が、セルフポートレートがもう一度変化する時だろう。

西洋美術の歴史的文脈を現代に捉え直すと、自己表現の方法は時代によって変化していくものであると言える。西洋美術においてさえセルフポートレートはその時代の社会や芸術の流行に影響されながら進化してきた。そのような意味で、変化の早い現代においては、社会や技術進化に合わせてセルフポートレートがアップデートされることは必然的であり、新たな表現方法が生まれる可能性があると言える。You Tubeもそのような範疇にあるのではないだろうか。

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