手話教室4日目

※閲覧注意 
(理由:実家が嫌いなんです)

今日は「家族を紹介しよう」という題名で講義は始められた。

実家と仲が良くない私は嫌な予感しかしなかったが、とりあえず講義に参加した。

講義が始まり簡単に先週の予習を終えた後、講師の合図で「お父さん」「お母さん」の手話を習う。

「お父さんという手話は、人差し指で頬を撫でて、親指を立てて上に上げます。」
「この頬をなでるというのは『自分と似ている』という意味です。
親指を立てるのは『男の人』という意味でしたね。上に上げる仕草は『上の立場にある男の人』という意味です」

「お父さん」という手話をするためには、毎回手話で『私に似た上の立場の男の人』と言わなければいけないらしい。
手話の意味を知った後、私は「出来ることならば、今動いている私の右手を地面に落としたい」とまで思った。やらないけど。
父が自分に似ているという屈辱と同時に、上の立場であるということまで自分で明示しなきゃいけないのか。
過去のあれこれと自分が今やっている『父』という言葉が交差してぶつかり、腹の底がフツフツと湧くのを感じた。心臓あたりも音を立てて振動しているのを感じた。

講師は続く。
「つぎは『お母さん』です。これも同じで『自分と似ている』という意味の『頬をなぞる』その後に『女性』上に上げて『上の立場』です」

ここまで聞いて、私は講師の後ろにあるドアから飛び出したいと思った。やらないけど。

まったく。
自身のことながら時代劇の『父上』『母上』というセリフには反応しないのに、新しく接した手話の『父』『母』という言葉の成り立ちに苛ついてしまう自分に少し呆れる。

これは手話がきっかけに古傷が痛むだけで、講師や手話が悪いわけではない。わかっているが、やはりイライラと心が揺さぶられる。

嫌だな。と思った。

次に『家族』という手話を学んだ。
手を合わせるような形で屋根の形を作り、人を表す手の形で家の中をグルっと回す。これは屋根の下に人がたくさんいる様子らしい。

実家にいい思い出が少ない私は、屋根の下に人々がいる様子を手で真似たあと、それぞれの顔を思い出しなんとも嫌な気分になった。

その後講師が「では参加者でグループになり実際にご自身の家族を紹介してみましょう。もちろん架空の家族でも良いですよ」といわれた。

すると、皆が質問を始める。
曾祖父ちゃんの手話を教えてくれだの、孫はどうやるんだだの、ペットは家族に含まれるかなどしばらく賑やかになった。皆が笑顔で自分の家族を指折り数え始める。

この後はそれぞれが家族の紹介をする予定らしい。私は実家にいる人数を数えイライラとしていた。

皆の一通りの質問に答えたあと講師は言った。
「家族というのは今一緒に住んでいる人のことですよ。」
「一緒に住んでいない人は、家族じゃないですよ」

つまり、私の家族は実家の面々ではないということになる。
手話の家族では、実家は家族ではない。
私はなんだか嬉しくなった。



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