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コンビニのお弁当が出来るまで&中国茶&ボラの私

ハローCQ、CQ。

久しぶりの投稿です。

日曜日の午前中。洗濯機を回しながら思い出したことがありました。

いつだったかな。もう20年も前になるだろうか。

千葉県の市川市に住んでいたときのこと。
女性相談の仕事では生活が成り立たなかったので、深夜早朝のアルバイトをしていました。

千葉の湾岸には、コンビニのお弁当をつくる工場がたくさんあって、私もその工場の一つに出入りしていました。従業員はすべて女性でした。

日雇いではありましたが、一人ひとりにロッカーが割り当てられていて。隣のロッカーがリーさんでした。

ある日、リーさんは私に、故郷からお茶が届いたことを嬉しそうに話してくれました。お湯を注ぐと花のように開く茶葉を、私は受け取りました。

深夜、私たちは、確かビーフンの弁当を作っていました。

彼女は最も過酷な、冷凍庫の作業を命じられていたかと思います。

アルコールで消毒しながら、ビーフンの弁当に、私は赤いパプリカと、黄色いパブリカの切れ端を、マニュアル通りにトッピングしていました。

今日で辞めよう。

そう思いながら朝の6時、ロッカーで着替えをしていたら、

リーさんは、他の日雇いのメンバーに、中国茶をくれとねだられていました。

ねちっこい視線と、言葉。

有無を言わせない強要。

リーさんはわかったと言いました。

その中国茶は、コンビニの弁当には比較もならない、香高く、懐かしく、故郷を思い出させるものだったのに。

リーさんは哀しい瞳で、中国茶を見つめながら、それを手放しました。

帰り道。千葉の湾岸の水辺には、ボラが跳ねていました。

汚い水でも生きれられるボラたち。

リーさんは今どこで何をしているんだろうか。

故郷から送られた芳しいお茶をどうか他の人に取られたりしていませんように。
同じような場面に遭遇したとき、止められますように。

今、仙台で女性支援に従事しながら、リーさんのことを痛みをもって想起している。

私は汚い水の中で生きているボラだなと思いながら。

#ジェンダー #中国茶 #コンビニ弁当

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