女声コーラス藍、解散

合唱団が解散するとき

 合唱団というコミュニティが「解散」という選択をするとき、そこにはどんな背景があるだろう。
 幸にして私はこれまでにそのような場面に居合わせたことがなかったけれど、想像することはできる。
 団員の減少、高齢化、経費増、練習場所の不都合、音楽性の違い、などなど。特にコロナ禍が世の合唱団に及ぼした影響は甚大なもので、どこも人数は減り、活動は制限され、長期化していることで堪えていた人の離脱もチラホラ。練習はできても目標となるステージが軒並み失われ、マスクをつけたまま少人数で目標を失ったままに活動を繋ぐことは決して簡単なことではない。大好きなはずの合唱が大きな陰に覆われていた日々は、未だ完全には晴れきっていない。そして実際に解散に至った合唱団のことを、いくつか耳にしている。

女声コーラス藍、解散

 2022年10月6日、「女声コーラス藍」という合唱団が、解散となった。
 おかあさんコーラス団体として長年活動していて、私は3代目の指揮者だったと思う。2020年5月のGWに小さなステージを迎え、その後から私が指揮者を引き継ぐ約束だったが、彼女たちが目標にしていたステージもコロナの風に吹き飛ばされてしまい、少々落ち込んだところからご一緒する日々が始まった。
 活動歴は長いが、ここ近年は団員数の減少と高齢化に苦しんでいて、私がご一緒するようになってからも練習は多い日で5人。二部合唱に臨むのがやっとの日々だった。それでも、おかあちゃんたちは歩みを止めず。歌いに来ているのか、練習後にみんなで喫茶店に行くのが楽しみで来ているのか今となってはわからないが、藍があることが彼女たちの日常であり、日々の喜びのひとつであったことは間違いない。

おかあちゃんたちの選択

 メンバー減、高齢化、目標の喪失、様々な要因がじわじわと圧をかけてくる中、解散という選択をするきっかけになったのは、団長の急なご逝去であった。
 誰よりもお元気で、練習を休むことなどほとんどなく、会場の確保や私や団員への諸連絡も全て率先して担って下さっていた、誰もが認めるリーダー。藍の顔であり心臓であった方を、突然失ってしまったのだ。
 団長とのお別れの後、練習予定だった10月6日に残されたメンバーで集い、解散を決断した。合唱団が年々苦しくなっていく中で、メンバーもいつかこういう日が来ることを覚悟していたのかもしれない。解散を決めたおかあちゃんたちのお顔は、寂しそうであり、しかと受け止めておられるようにも見えた。しかしあまりに早く突然のことだった。

音楽との別れではない

 コロナ禍になって指揮者を引き継いだ私は、特に合唱団を元気にすることもできず、現状を維持させただけであった。大したことは何にもできなかった。彼女たちとはステージに立つことがなかったから、一緒に撮った写真もないことに今更になって気付いた。
 散り散りになるメンバーには、私の指揮する他団のことを紹介こそしたが、彼女たちの合唱活動がこれからどのようになってゆくかは分からない。いろんな公募企画に挑戦するなど元来フットワークの軽い方々だから、藍との別れが、音楽との別れではないことを強く願っている。

たしかにここに在ったことを

 連盟にも加盟していない、鹿児島の合唱人でもほとんどが名前すら知らないであろう小さな合唱団「女声コーラス藍」が、たしかにここに在ったことを、たしかにここに記しておきたい。
 
 最後に集まったあの日、きっとまた喫茶店に向かったであろうメンバーの群れの中に一際オシャレさんだった団長の姿が無いことを目の当たりにして、胸が棘が刺さったようだった。この痛みを忘れまい。

 藍、ありがとう。


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