推し疲れの話

ちょっと前に推し疲れから抜け出したので、なんとなくその抜け出すまでの記録をつけてみようと思う。

私がVTuberの存在を知ったのは2018年の12月、友人にキズナアイって知ってる?」と言われたのがきっかけ。
そもそもyoutubeを頻繁に観ているわけでもなかったので最初はなかなかVTuberの存在を飲み込めなかった。
でも観たら面白くて一瞬でVTuberの世界に引き込まれていった

にじさんじにハマったのはその半年後JK組から入ってズブズブと、
そこからは早かった、常に生活の中にVTuberがあって、youtubeを開いてもずっと配信を観ている状態。

VTuberの面白いところって、人間の喜怒哀楽がリアルタイムで観れることかなって思ってる。

まあ余談は置いといて、とにかくいっちょまえのにじさんじリスナーになった頃、自分にある変化が起こったような気がした。

推し疲れの始まりである

初めは焦りだった、「ああ推しの配信が始まるから観なくちゃ」「見逃しちゃいけない」そんなおかしいことか?って思うかもしれないけど、そのときはすごくしんどかった。
推しがこちらを認識している訳でもないのに、配信を観なかったというだけで罪悪感がわいてくる

次にお金、いわゆるスパチャ、自分はまだ学生の身なのでそんなに大きな金額は投げれなかった、ボイスを買ったりするにも渋ってしまう、強い劣等感を抱いたことを覚えている

極めつけは推しに対する嫌悪感だ、
これはVTuberをただのキャラから一人の人間として認識し始めた頃に起きた

推しのいやな部分が見えてくるようになったのである、いわば推しと自分の間にある価値観や感覚のずれがわかるようになったということ
ひとつひとつの言動にいらいらするようになった、自分の興味のない配信をしているといやな気持ちになった(まじで自分勝手すぎる)

……何となく付き合って三年目のカップルみたい…一方的だけど…

そのときに私は思った、「なんで私、推しのこと観てるんだろう?」
楽しむためのコンテンツだったはずの推しがいつの間にか自分の心を傷つけて、明らかに抱いちゃいけないどす黒い感情が自分の中を駆け巡ってる

そこからしばらく、私は推しを観ることをやめた。

結論から言うと私は推しがいなくても生きていけるし、楽しいことは他にもあるってことがよくわかった

すごくスッキリしたことを今でも覚えている

以前していたことを沢山やってみた本を読んだり、映画を観たり、外に出てみたり楽しかった。

今じゃもう普通に推しの配信を観ている、推しのことは大好きだずっと推してたいって思う最高の推しだ。

でもハマりたてのころのような感情はもう抱いていない、興味のない配信は別に観ないし変な劣等感はわかなくなった。

推しは生活の全てじゃない、私の人生に、ちょっとだけ色をつけてくれるだけのものなんだって、私は思う。

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