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回復の呪文

何年も前に人から言われて、今でも記憶に残っている言葉がある。

「頭おかしいし、普通でもないけど、悪くないよ」

私が酔っ払ってしかけた

①私頭おかしいかな?
②普通だよね?
③私が悪いのかな?

というウザ絡みに対する回答だ。

当時の私は職場での人間関係に悩んでいた。それに加えて自分はビジネスマンとして無能であり、この先社会生活を営んでいく自信が到底ない。そんな感じで延々と居酒屋でくだを巻いていた。
それに対する彼女の反応に手応えがないのにも苛立って、こんなどうしようもない質問を持ち出したんだと思う。ずいぶんな量の酒を飲んでいた。

居酒屋のカウンターで彼女はじっと前方の箸入れを見つめて、それからおでんの出汁を焼酎の入ったグラスにどばどば注ぐと

①頭おかしいし
②普通でもないけど
③悪くないよ

と言った。

ぜんぜん求めていた回答じゃなかった。だから言われた瞬間はすこしムッとしていたんだけど、結局はそれをきっかけにして憑き物が落ちたように他愛もない会話に戻り、店を出るころには笑顔になっていた。

日曜の夜で、新宿で、夏だった。
私は電車に乗って家に帰り、お風呂に入り、きちんと髪を乾かし、歯を磨いてぐっすり眠った。そんな記憶だ。

後になって考えてみれば、問題は何ひとつ解決していないし「それであたしどうすりゃいいのよ」って感じだ。
だけど私はあのときたしかになにか膨大なエネルギーみたいなものを受け取った。
それはストリートキッズがお互いの手や肩にこぶしをぶつけ合う、あの挨拶にどこか似ていた。おまじない、呪文でもいい。

私たちが誰かに対して(お願いだからなんとか言ってよ)とすがるような心持ちでいるとき、求めているのは具体的な正解ではなく、優しい慰めでもなく「回復の呪文を唱えてくれ」ということなんだと思う。

それから数年が経ち、同じような場面に遭遇した。今度は私が(お願いだからなんとか言ってよ)と要求される側の立場だった。

私の場合そういうときうまく呪文を唱えられたためしがない。喋りがうまくないし、考えるのも遅い。リアルタイムのコミュニケーションに向いてない。

だから代わりとして、私は相手に一冊の小説を薦めた。
すぐれた物語は、それ自体がひとつの呪文の完全な詠唱として成立している。そう私は信じているので、その呪文がこの人の力になってくれたらいいと思った。
呪文を唱えられず、アイテムに頼ってしまった私はすこし情けなかった。
本当なら私はそれを自分で書いて渡したかった。いつかそうできたらいいと思う。

頭おかしいし/普通でもないけど/悪くないよ

あのときの私はこのセリフを、この世で最小単位の物語を読むように聞いていた。
その物語の中でなら強く生きていけそうな気がしていたんだと思う。

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