「ガチャ上の楼閣」第2話
「転職なんてろくでもないぞ、やめとけ」
お酒の入った佐々里はそのセリフを何度も繰り返していた。
秋葉原の繁華街にある居酒屋。文見たち四人の同期が集まってお酒を飲んでいた。
主役は佐々里。ノベルティアイテムを退社して、他のゲーム会社に勤めていたが、その会社もやめるという。
数ヶ月ぶりに会うが、その時より太っているような気がする。
「『ブレイズ&アイス』はずっと好きなゲームだったし、こうなればさらによくなるって、アイデアたくさんあったんだ。面接でも言ったよ。パーティー編成の画面遷移を減らせばテンポが上がって、デイリーミッションも回す気になるって。それには社長もうなずいてたんだ。けど、配属されてみれば、どうでもいい雑用ばかりでさ」
佐々里はジョッキのビールを行きに飲み干す。飲めば飲むほど舌が回るタイプで、飲み会が始まってからしゃべりっぱなしだった。
それを見て木津が何も言わず、お店の端末で追加のビールを注文する。
木津は赤縁メガネのオシャレな女性で、美大卒のグラフィッカーだ。ゲーム会社は私服出勤がOKで、ラフな格好になりがちだが、木津は決して崩れることなく、いいとこ務めのお嬢さん風でびしっと決めていた。電車ですれ違った人は、まさか電車を降りた彼女が秋葉原のゲーム会社に吸い込まれていくとは思わないだろう。
ちなみに文見と佐々里がプランナーとして採用され、久世がプログラマーだった。
「給料は上がったんでしょ?」
もやしのナムルを食べつつ、文見が質問する。
文見はもやしが好きだ。太らないし、なんたって安い。お通しで出てきても、追加で頼んでしまう。
「ちょっとだけどな。そこは転職エージェントに調整してもらった」
「エージェント?」
「無料で、転職したい会社と交渉してくれるサービス。オススメの会社も紹介してくれる」
「そんなのあるんだ? 新卒採用は自分で連絡しないといけなかったよね」
「企業もいい人材が欲しいからエージェントにお金払って、優秀な人を紹介してもらってんだとよ。転職が成立したら、成功報酬としてけっこうなお金を支払うことになってるから、利用者は無料で利用できるんだ。あとサイト登録しておけば、企業からオファーも来る」
「えっ、すごいじゃん! オファー欲しい! 転職いいなあ」
文見は大学時代の苦労を思い出す。
ひたすら名前の聞いたことある企業にエントリーシートを送りつけていた。しかし、書類で落とされることも多く、面接も惨敗だった。
そこに企業との仲を取り持ってくれるエージェントがいたり、企業からオファーが来たりしたら、どんなに嬉しいことか。
文見は文系で、金融、旅行、小売りなどを受けていた。でも全敗で、大学時代にのめり込んでいた、ゲームなどのエンターテインメント系を受けるようになった。
狭き門のゲーム会社を狙うなんて夢のような話だったけど、受けるのはタダだし、せっかくなら好きな業界にチャレンジにしてみたのだ。
それでご覧の通り、ノベルティアイテムに合格。どうせ絶望的な状態だから、いっそ好きな業界に行ってやる、と楽しんで受けたのが良かったのかもしれない。ゲームに関する技能は何もなかったが、社長は熱意を買ってくれた。
「よくなんかない。向こうも俺のこと欲しいって言ってくれたわけだから、なんか任せてくれるのかと思ったんだ。けど、しょうもないデータ打ちばっかで、新卒やアルバイトと同じ。こっちはさ、死ぬほど仕事してもいいから、すげーことやってみたかったんだよ。なのに飼い殺し、なんで雇ったんだ」
「雑用に高い給料払ってくれるなんていい会社じゃない?」
愚痴を吐き出しまくる佐々里に、トゲのある言い方をしたのは木津だった。
木津の言うことに思うところがあったのだろう。佐々里は神妙な顔で答える。
「ああ……それだよ、それ。俺も気にしてたんだ……。向こうは俺に何ができるか分からないから、仕事を与えにくかったんだろうけど、役に立てないのはまずいし、『もっと仕事をやらせてください』ってお願いした。それで次のイベントの施策を任せてくれることになったんだ……。でも誰もそのやり方教えてくれないの。もちろん黙って待ってたわけじゃないぜ? ちゃんと先輩に聞いて回ったさ。けど『今忙しいから』『自分で考えろ』『楽しようとすんな』とかで、まともに取り合ってくれないんだよなあ」
「おかしな話ね。会社の損にしかならないのに」
「ほんとだよ。せっかく採用したんだから、ちゃんと働かせてくれよお。会社って意味分からないな!」
そう言って佐々里は、店員が持ってきたばかりのビールをあおる。
「それで、やめちゃうの? ゲームはかなり好調だし、そのまま会社にいれば安泰でしょ? 入ったばかりで、仕事慣れないのは分かるけど」
文見はもったいなく思っていた。せっかくビッグタイトルの仕事がしたいと言って転職したのに、入社数ヶ月でダメだと判断するのは早計すぎる。
佐々里はため息を吐く。
「……結局のところ、職場が回ってないんだよ。みんな自分の仕事に精一杯で、他の人を見てる余裕がない。人が足りないから人を雇うが、その人を育てる余裕がないんだ。みんな中途社員で、ろくな教育もなしに現場投入されるから、意味分かんないまま仕事してるし、そこにやってきた新人を育てる時間も義理も能力もない……」
佐々里の語りはさらにトーンダウンする。
「ノベにいたときは、部活みたいに言い合いながら仕事してて楽しかったな……。そりゃあ、長時間勤務とか怒られたりでつらいこともあったけど、今さらながら恵まれていたんだと思う。やりたいことをやれるかは重要だけど、仕事環境ってのも重要なんだな……」
ノベとは社名のノベルティアイテムのことだ。
社長曰く、ノベルティは「斬新」という意味で、そこにゲーム用語っぽい「アイテム」という言葉をつけたとのこと。ノベルティと言えば、記念品や販促物の意味合いのほうが強く感じてしまうが、それは織り込み済みだという。ゲームを楽しむユーザーにとって、心に残る記念品になればという思いがある。
「会社が好きになれるか、か……」
文見がつぶやいた。
人間のトラブルのほとんどは人間関係だという。仕事内容の合う合わないもトラブルとなり得るが、一番大きいのは職場における人間の合う合わないかだ。
ノベルティアイテムは証券マンだった天ヶ瀬が起こした会社だ。
ハードな金融系の仕事につかれ、夢を追ってみたくなって独立した。大学時代の親友である村野を巻き込み、スマホアプリの開発を行って成功。とあるゲーム会社からミニゲームの開発を依頼され、ゲーム会社となっていった。社員ゼロからスタートした会社とあって、人間関係は密接で上下関係はあまりなく、まさに佐々里の言うように部活のような環境だった。自分たちが会社を大きくした、という自負もあり、新人教育も自分たちの責任だと思い、注力していた。
「今時の言葉じゃないけど、愛社精神みたいなのは必要なのかもね。というより、帰属意識?」
自分はこの会社こそが居場所で、ここで活躍することが生きがいである、といった意識だ。それがないと会社に行く気にも成長する気にもなれない。当然、誰かに仕事を教えようなんて思わないだろうと、文見は思った。
社長や先輩たちも会社が好きだから、遅くまで頑張っているし、文見の面倒を見てくれる。
「そうかもな。人材が入れ替わり立ち替わりの会社じゃ、そんな意識生まれんな……」
佐々里は寂しそうに言う。会社をやめてしまったことに後悔があるのかもしれない。
しかし覆水盆に返らず。戻ろうと思えば戻れるのかもしれないが、プライドの高い佐々里は社長に頭を下げられないだろう。
「まあいいじゃん! それが分かるほどいい経験したってことだろ?」
うなだれる佐々里の肩に腕を回して久世が言う。
ずっと真面目な話だったので黙っていたが、我慢しきれなくなったらしい。
「次はどこ行くんだ? もっといい会社探そうぜ! 世にはいっぱい会社あるんだから、他の業界行くのもアリだろ?」
「ああ、そうだな……」
久世はポジティブに言うが、佐々里の顔は暗いままだった。
「でも、行くところないんだよ……。お前らも分かってると思うけど、俺らまともな会社員やってないだろ?」
佐々里が同意を求めてくる。
「朝が遅い、よれよれの私服出社、まともな敬語使えない、上下関係はいい加減。ワードやエクセル使えても、ニュースや新聞は見ず、日常会話はオタトーク。社会人としてゴミなんだよ、ゲーム会社の社員っていうのは……」
ひどい言いようだが、思い当たるところがいっぱいあり、文見たちの口元がゆがむ。
「えっと……他の業界ではやっていけないってこと?」
恐る恐る文見が尋ねる。
「そういうこと。社会人スキル足りなすぎ。オタスキルなんて普通の会社じゃなんの役にも立たない。アニメが好き、ゲームが得意なんて主張しても、キモがられるだけ。真面目な顔して『それが弊社の業務でどのように役に立つとお考えですか』って言われるわ」
「ひいっ!?」
耳と胸が痛い。
最近、ゲーム大好き、コスプレ大好きと、面談で堂々と語った人間は誰だろう。自分では仕事に役に立つようなことではなく、心に潜めておくものだと思っていたが、実際に役に立たないと言われるとつらいものがある。
「それじゃ会社に残ったら? ゲーム会社の社員はゲーム会社でしか務まらないんでしょ」
淡々と木津が言う。
「木津は相変わらず、容赦ないな」
「生きるか死ぬかの話でしょ? なら遠回しに言っても仕方ないじゃない」
「死ぬかって……まあそうなのかもだけど……」
二年以上の付き合いなので、木津節には皆慣れていた。率直な物言いは必ず本人を思ってのことなので、言われても悪い気はしない。心に刺さることはあるけれど。
「恥ずかしい話だが……お前らの前だからな。素直に言おう。……つらいんだよ。居場所がないんだよ。企画がうまくいかなかったから、使えない新人扱いされて、さらに居心地が悪くなった。挽回しろって言うかもしれないけど、そのチャンスがないんだよ。余計仕事をくれなくなったし、教えてくれなくなった。きっと、このまま孤立させてやめるまで追い詰める気なんだぜ、あいつら……」
感情の吐露には何も言えなくなってしまう。すべて彼の本音だと分かり、そのつらさが痛いほどに伝わってくる。
けれど、話す内容がどこまで真実は分からない。ただの勘違いかもしれないし、被害妄想かもしれない。けれど、文見にはそういうこともあるのではと思えた。なかなか人にこんな劣等感を話せないものだから。
「何も考えてないって。人は他人にそんなに興味持ってないから」
ワイングラスを空にして木津が言う。
「佐々里も、他の社員のことなんて何も思ってないでしょ? 今日は元気かな、仕事は楽しんでるかな、とか思ってあげてる? それは周りも同じ。特に新しく入ってきた人なんて、ほぼ赤の他人なんだから気にするわけがない。興味を持ってほしいなら、まずあんたから興味を持て。話はそれからだ」
まるで物語の登場人物のようなセリフを吐く木津に、佐々里は目を潤ませる。
「木津……。お前、そこまで俺のことを思って……。結婚してくれ!」
「しねえよ、ボケ!」
木津は思っていることを率直に言う女である。
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