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おそうじトキです

1年以上何も書いてなかったです。去年の終わり頃になんか書いて載せた気はするけど、それも絞り出しという感じでなんかえぐみを感じていた記憶がある。
去年の夏頃からアルバイトで家事代行サービスをやっていて、今も続けてます。
大学も1年経ったが、最近なんとなく私はもの作ったりする感じじゃないなーとかなり思っていて、1年間でじわじわ自分の身にその感覚が染み込んでいたのだが、本格的に定着してきた気がするし、すごく身近な人にはそれを言っていたけどなんとなくあんまり周りには言えなさも感じていた。もの作ると言っても、工作とか絵とかそういうことでもなく、全般的に。

私がやっているのは、いわゆるテレビでたまに見るような足の踏み場もない汚部屋を綺麗にするわけではなく、すでに繰り返されている生活の中に定期的に入って整えたり元に戻したりして出ていく、を繰り返す仕事という感じです。
よごれ方もほこりの種類も、1週間あたりの水回りのぬめりの厚さも何もかも、そのおうちで暮らしている人の性別や人数、家族構成や性格などによって違うのです。でも共通点もあって、意外なところで応用が効くこともある。
私は排水溝に手を突っ込んだりすることに抵抗がないので、これは人によるとは思うが、掃除で好きな作業の中でも、キッチンやお風呂の排水溝は上位の方です。たぶん2位くらい。でも1位があるわけでもないというか、パッと思いつかないというか、1位が別にあるわけではない感じが私にとっての家事だなとも思う。家事を愛してやまない、みたいなニュアンスでも全くない。

今私が住んでいる部屋は1人暮らしの最小限の広さだし、そんなに汚れないし、そもそも常に綺麗にされているわけではない。むしろ常にどこかがあまり綺麗ではない状態。
でも人の家だったら掃除する気になる。昔から人の家に行くのが好きなのもある。最近たまに母性があると言われる。昨日、一昨日と連続で違う人に言われた。母性がなんなのかわかっていないが、確かになんか世話は焼かせてほしいのかもしれない。

思い返せば小学校時代、掃除の時間に黒板を真緑色にするまで何往復も黒板消しをかけることに注力していて、短い掃除の時間内でどこまで白さをなくせるか、かなり戦いだった。自分ではない人がその日の黒板の掃除をやることになった日は、掃除後の黒板を見ると、なんか自分とは違うような感じがしたし、私の方が確実に綺麗にできているという自信と携われなかったもどかしさと、という感じだった。
あと、小学校の時、掃除が終わって次の授業が始まるまでの時間、教室に戻ってきた人から素手で床を掃除する、っていう時間が私のクラスだけあって、今思うといろんな意見はありそうだが、それはけっこう大事なことでもあると思う。掃除したあとなのにみんな、もりもりのほこりと砂を集めていた。やはり素手の感覚には間違いないものがある。


今やっている家事代行サービスでは、お風呂、洗面所、キッチン、トイレ、床、など場所ごとの大まかな掃除の内容は決まっていて、毎回同じこと、同じ動作を繰り返すというのはある。だが、初めて行くおうちのお風呂を掃除していて、そのお風呂の構造を確かめるためにいろんなところに手を当てながら掃除していると、他のおうちにはなかったような場所にぬめりを見つけることがある。後日、いつも行っているおうちで似たような場所を探して──それは普段見えていない場所なのだけれど触ってみると、やはりぬめりが溜まっていて、黒カビ化してしまっていたりもする。経験も浅いので模索しながらの家事ではあるのだが、綺麗を保つのに加え、毎週一段ずつ上がっていくようにいろんな家の隠れた場所までもが綺麗になっていってる気がします。

高3の時も、みんなが帰ったあとの教室を友達と2人でひたすらほうきではいたりしていた。受験の時期だったが、それが私なりのなにかを研ぎ澄ます時間にもなっていたと思う。土日の朝は、島の旅館であるなかむら旅館で、お風呂掃除とか客室の清掃・整えなどもたまにやっていた。こんなことしてる場合じゃないかもしれないという気持ちは3%くらいあったし、教室に入ってきた担任は「エ、」みたいな感じだったが、いや、自分は今これをしなければいけないいんだという認識と自信があったし、根拠はなかったけど、結果ほんとにそうだったと思う。



将来的にほんとに私の本業が家政婦さんや家事代行サービスビトになっても、人の家を掃除するので忙しくて自分の家の掃除には手が回らず、家事は代行してもらいそうな気がする。
なんかそれくらい天職だと思っている。
たまにぼんやり思うけど、やっぱり帰ってきて家が綺麗になってしまっているのはけっこう助かるし、多分ちょっと嬉しいし、疲れていればいるほど、そのありがたみがじわじわ感じられそうな気がします。私の狭い部屋でさえ、夜遅く帰ってきて髪の毛がいっぱい落ちてたりなんとなく床にほこりが溜まっているのを足裏で感じたり、布団がぐちゃぐちゃだったり洗い物がちょっと残っていたりするだけで少し絶望というか、なんかそこでしょうがなさを感じてしまう。生活とはそういうものなのかもしれないが、綺麗な家に帰るのもやっぱりよいのだ。夜遅くに疲れて帰って来ても、部屋が綺麗なだけで何かがギリギリ保たれるというのは自分の部屋でも体感する。でもそれを人に頼むと、もちろん効率はよいのだろうと思います。

しかし掃除に行っているけれども、いずれはそちらで家事をやってみてほしい、とも思っている。鏡や蛇口などのシルバー類は、水拭きしたあとに乾いたタオルで拭けばピカピカになることを知ってほしいしやってほしい。簡単にちょっとホテルっぽくなる。それでもやっぱ家事は無理だなということももちろんあると思うが!
気分で家事代行頼めて気分で自分でも掃除するみたいな、それくらいのフワフワハードルになってほしい。でも現状、家事代行サービスはお金に余裕がないと頼めない感じのものになっているのかもしれない。ハードル低いのか高いのかわからない。



正直なところ、この家事代行サービスと今学校でやってることを結びつけようとかはあんまりなくて、そうなればそれはそれで良いのかもしれないが、ただただ私はひとんちの掃除がしたい。毎日誰かの家をの掃除をしながら過ごしたい。
でも学生なのでぼちぼち学校は行くし、今週は冬にある展示のプロポーザルというのを提出しないといけない。今週ってか明日だ!こまった!


おそうじトキ

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