"ぼ~っと”できる場所
今回のテーマ:お気に入りスポット
by らうす・こんぶ
写真:安くておいしいメキシカンベーカリーのチキンスープと豆入りライス
ニューヨークでは、街を歩くときは無意識的に落ち着ける場所がないか探していた。本を読んだり、ぼ〜っとしたり、また、たまにパソコンを持ち込んで何か書いたりできる場所を。
理想的にはおいしいコーヒーが飲める喫茶店の角っこの席で、後ろと横に壁があるのがいい。店内は比較的ゆったりしていて、席の間隔が適度に空いていて隣が全く気にならないような。隣の人のパソコンやスマホの画面が見えると気が散ってしまうし、こちらのが見られるのも嫌だ。窓に面したカウンター席で外が眺められるのもいい。ただし、2階以上。歩行者と目が合ってしまうのはNG。でも、窓に面して座る席はたいてい後ろに壁がないので、後ろを人が通ると落ち着かない。
私のそういうわがままな条件を満たしてくれるカフェはニューヨークにはなかった。スタバは人気があったが、混んでいるし、テーブルの間隔が狭いし、時々豆を引くガーっという機械音がうるさいし、みんなパソコンを使っていて長居するからなかなか席が空かない。もう、それだけで行く気がしなかった。
イーストビレッジやロアーマンハッタンなどにはおしゃれなカフェが多い。どこかから拾ってきたような古いソファや椅子、ペンキがはげかかったテーブルなどが無造作に並べてあって、コーヒーやマフィンなどを売る店だ。椅子やテーブルが古くて不揃いなところがいかにもニューヨークっぽくておしゃれ。そしてそういう店では必ず、役者とかモデルとか、ミュージシャンとかアーティストとかやってます、みたいな、かっこいい兄さんや姉さんがコーヒーを入れたり、マフィンをケースから出したりしている。ニューヨーカーっぽければおじちゃん、おばちゃんもありだがそうじゃなければNGで、コーヒーやマフィンやスコーンの味よりも、調度品や、客も含めて店にいる人が”いかにニューヨークか”でカフェの価値が決まる、そんなふうに見えた。
だから、そういうカフェにはそういうカフェに似合いそうないで立ちの若者がいてパソコン画面をのぞいていることが多かった。彼らは会社員には見えず、詩や小説を書いていたり、グラフィックデザインをしていたり、音楽を作っていたりなど、パソコンで何かクリエイティブなことをしているように見えた。
でも、次第に、そういう人たちは仕事をするためというよりは、そういうおしゃれなカフェの調度や雰囲気にしっくり溶け込むアイテムとして、もしくは自分が”ニューヨーカーである”ことの証明のためにそこに一定時間存在することこそが、カフェに行く目的なんじゃないかと思うようになった。そうなると、そういうおしゃれなところに不釣り合いな私は居心地がよくなくて当然ということになる。そう考えたら、私の違和感にも納得できた。
本当に集中して仕事がしたい人はカフェには行かないんじゃないかな。それとも、狭いアパートにはルームメイトがいたりして落ち着かないのでカフェの方が集中できるのだろうか。時々試してみたけれど、少なくとも私はカフェでは書き物にも読書にも集中できないことがわかった。そういうカフェは友だちとお喋りするのにはなかなかいいんだけど。
カフェにパソコンを持ち込むのは私にとっては意味がないことがよくわかったので、目的を絞って、ぼ〜っとするのに適したカフェを探すことにした。近代美術館やノイエ美術館など美術館カフェにも行ってみたが、そういうところも友だちとのおしゃべりには最適だがひとりでぼ〜っとするには不向きだった。たとえ隣の人と離れていても、客が多くてざわめきがあるところでは私は”ぼ〜っ”に集中できないことがわかった。
ただ、ニューミュージアムのカフェだけは違った。1階の奥のギャラリー手前にカフェスペースがあって、コーヒーを飲みながらギャラリーの展示をぼ〜っと眺めているのはなかなかすてきで、1時間くらいそこで”ぼ〜っと”に集中することもあった。意外に穴場で、観光シーズンでもなければたいてい空いているのもよかった。空いているテーブルを探すとか、席が空くまで待つというのはそれだけでストレスだっだ。ぼ〜っとしに行くのにその前にストレスを溜めるなんて意味がない。
そして、おもむろに腰を上げてガラスの向こうのギャラリーに入っていったり、上の階の展示の中をぼ〜っと散策したり、最上階のベランダに出てマンハッタンのダウンタウンをぼ〜っと眺めたりするのもすごく好きだった。
灯台下暗しだと思ったのは、私が住む界隈に落ち着ける場所があったこと。移民が多いクイーンズにはイートインスペースのある中国系の餅屋(つまりベーカリー)、中南米のスープなどを出すベーカリーや手軽なレストランなどが点在する。そういうところには移民の家族連れ、夫婦連れ、労働者風の男たちが仕事仲間と連れ立ってやってきたり、近所に住む一人暮らしのお年寄りが食事をしたり、店の人とお喋りするためにやってくる。ここにはパソコンを抱えた”ニューヨーカー”な若者はいない。
移民の街にはあまり自由業の人はいない。昼間働いている人がほとんどだから、お昼どきは少し混んでもテーブルが見つからないことはなく、私がぼ〜っとするには最適の場所だった。安くておいしいチキンスープと豆入りライスを食べ終わってからしばらく”ぼ〜っとタイム”したり、移民の家族が経営するメキシカンベーカリーで、薄くてあまりおいしくないコーヒーとチーズ味の揚げたパンを食べながら通りを眺めて”ぼ〜っとタイム”したり。こういうところではおいしいコーヒーよりも、安いがゆえに薄くてあまりおいしくないコーヒーの方がつきづきしく、かえってリア充な感じさえしたのが、今思うとおもしろい。
私は”ニューヨーカー”になるより移民の街の住人でいる方が似合っていたし、落ち着けたような気がする。
(注)
私の”ぼ〜っとする”は頭や心の中が空っぽになることではありません。おそらく、頭の中や潜在意識が攪拌しているためにひとつのまとまった考えに集中できなくなり、その結果”ぼ〜っと”するのだろうと思います。違うかな。。。
らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。
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