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郷に入れば郷に従え

今回のテーマ:マナー
by   阿部良光

写真キャプション:後始末は大事です!

所変わればマナーも違う、と認識してはいても、何だこいつ的思いをすることに事欠かないNY。 ある程度の混み具合の地下鉄で、こちらの二倍とまではいかないが大きめの女性が、持ち物を自分の隣において三席を占め、立っている人をチラ見しながらも除けようとしない。また地下鉄が駅に着いてドアが開いた瞬間、トラックにゴミを捨てる早業をやってのける輩。もっとも路上にゴミを捨て去る大人もよく目にするNYだから、もしかすると遊び感覚なのか。

今更だとも思うが、犬の糞の置き去り。自分の愛するペットの後始末は国籍、育ちの違いに関形なく常識だろう。街の多くの場所に「後始末はきちんと」とか、「始末しない人はペットを飼う資格なし」などの小さな盾があるが、もとよりするつもりがない人もいるからこんな標語が存在するのだろう。

そしてアメリカではいかにも良い習慣の挨拶。時に知らない人でも、お互いがすれ違う時は「ハロー、ハーイ」の挨拶を交わすことが多い。なのに、今でこそ少しはマシになった隣人夫婦の奥方。そもそも近所付き合いは得意ではないこちらだから、あまり言えた義理ではないが、少なくとも挨拶されたら無視したり、聞こえないふりはしない。 多分40代初め。余計なお世話だが子供は親の態度を見て育つの言葉通り、彼らも何となくよそよそしい。今でこそ成長したが、幼少の頃は毎朝学校へ行くことを嫌がって廊下でけたたましく泣いていた。それを諭す母親の金切り声。この泣き声と金切り声が、こちらの目覚まし時計化するほど迷惑を被ったのに。

救いは、少なくとも旦那は挨拶を知っているようだ。 一方、70代も半ばを超えたと思われる、アパートの管理委員の一人。6月の居住者ミーティング前に必ずアパート巡りを始める。「ミーティングに参加しますか、もし参加できなければ、この委任状にサインして受付に渡しておいてください」と自分の再選を願って戸別訪問って訳だが、よくそんなことが言えるのか、この厚顔ぶりに驚く。

普段、この爺さんも挨拶しても知らん顔。外で会うと、何となくを装って他所を向いてしまう有様。あまりに徹底しているので、アジア系嫌い?と訝って、いつぞや同じ棟に住むフィリピン系の隣人に聞いてみた。「オーマイガー、あなたも無視される? 私もよ」。そしてアパートで最もフレンドリーな友人にも聞いた。「心配しなさんな、あの人はほとんどの人にそうだから。もちろん私にも」とのこと。自分ばかりへの態度ではないようだ。

15、6年ほど前、彼の国を訪問した時、駐在をしていた友人から、レストラン内で唾や骨などを吐くと聞いたこともあるし、割り込みも日常茶飯事、口を閉じないで物を噛むクチャクチャ音。日本人だって同類はいるし、あの人混みの中、ぶつかっても失礼の一言もないからあまり言えないかな。

アメリカではクシャミは縁起が悪いと、鼻の奥の方で噛み殺すようにするが、鼓膜が破れないかと心配になる。咳なども腕で覆うのは、特に今時は安心感があっていい。 マナーやエチケットは個人の問題と言えるところもあるので、あの国民、あの人、この人とはいえない。そしてそれは慣習とも連動していて、その国ではごく普通のことの場合もあるだろう。それを一概に否定することはできないが、豪に入れば郷に従えは、相手を尊重する意味でも、誤解されないという意味でも大事になるだろう。



[プロフィール] 1980年10月自主留学で渡米。しょうがなくNYに住み着いた、”汲々自適”のほぼリタイアライフ。




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