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”10年“の意味を考えた

今回のテーマ:これぞニューヨーカー

by 福島 千里

ニューヨークに住み始めたころ、いろんな人にことごとく同じことを言われた。

「この街に10年暮らせたら、君も本物のニューヨーカーだよ」

その後、私はニューヨークにきっちり10年暮らし、11年目に隣接するニュージャージー州へ引っ越した。よって、前述の言葉に従うと、私は元・本物のニューヨーカーということになる。では、本物のニューヨーカーとはなんだろうか。単に10年という物理的時間をこの街で過ごせば自動的になれるものなのか。それもなんだか違う気がする。巷ではさまざまな定義があるようだが、私はこう考えた。

“揺るがない個と寛容な心を持ち、なおかつこの街で生きていくことを誇りに思っている人”

大都市というものは、たいていどこも地方や他国からやってくるよそ者の吹き溜まりだ。ここニューヨークも例外ではない。もちろん、ニューヨーク生まれのニューヨーク育ちという生粋のニューヨーカーもいるが、ダイバーシティがことさら謳われる街だけに、よそ者が占める割合は圧倒的に多い。

そんなこの街の人々は、基本的に気さくで優しい。

よそ者にとって、現地の人々に受け入れてもらえるかどうかは死活問題だが、この街の人々の多くは、身をもってそれを知っている。なぜなら、自身もかつてはよそ者だったからだ。だから、相手の言語、文化、思想の違い、そして個の在り方をはなから否定するようなことはしない。相手との違いを認めた上で、受け入れるか、そうでなければ受け流す。それがこの多様性の中でうまくやっていくコツの1つだということをよく知っているのだ。

私が日本を離れたのは90年代後半だったが、それまでは日々のいろんなことで周囲と同調しなければならないというストレスに苛まれていた(これはあくまで当時の話。いまの日本はまた状況が変わっていると思う)。ファッションに遅れをとるまいと似合わない服を着て、話を合わせようと苦手なトレンディ・ドラマを見たりした。人付き合いが悪いと思われるのが嫌で、飲めないくせに無理に飲み会にも参加した。社会人になってからも「私はこうです」とうまく主張できない日々。とにかく集団の中で異を唱え、浮くことが怖かった。やがて不自然な気遣いだらけの人づきあいに疲れ、本格的に生活環境を変えようとニューヨークにやってきた

実際に暮らしてみると、数ヶ月も経たないうちにこの街との相性がよいことに気がついた。お気に入りの服をずっと着てても誰からも何も言われないし、パーティで「酒は飲めない」とピシャリと断っても「あら、そう」の一言で完結する。周囲の発言を待ってからモノを言うといった余計な気遣いも不要になった。相手の主張に耳を傾けつつも、自分が良いと信じることを主張する。それが多数派から外れてしまっていてもなんら問題はない。人はそもそも皆異なる存在だし、個性のあり方に間違いなどないのだということを、この街の人々が教えてくれた。

もちろん、個のあり方や違いをみんながあっさりと認めてくれるわけではない。日本語訛りの英語を話してあからさまに距離をとられたこともあるし、心ない言葉を投げつけてくる人も必ず存在する。それでも、この街は“人と異なること”に対してはるかに寛容だ。なにせ、どんなに“自分は個性的だ”と思っても、ここにはそれを遥かに上回る強者がわんさと集まってくるのだから。

ニューヨークは来る者を拒まない。同時にこの街は去る者を追わないドライさも兼ねている。自分の個が受け入れられず、「こんな街に来るんじゃなかった」と去っていった人もいた。

誰にでもオープンで、誰にでも厳しい街。そして日々の生活を経て、自分と異なる人との付き合い方を教えてくれる街。そんな環境を心地よいと感じたら、10年なんてあっとういう間にすぎる。話が冒頭に戻るが、“10年住んだら...“というのは、きっとものさしのひとつに過ぎない。私の中で、この街に暮らす人を本物のニューヨーカーたらしめるものは、他者を受容する優しさと、何よりもこの街を愛する心だと思っている。だから、実際には住んだ年数なんて関係ない。きっと5年でも、10年でも、この街に暮らし、他者との交わりによってこのマインドを獲得したその時こそ、よそ者は本当のニューヨーカーになれた、ということなるのではないだろうか。


◆◆福島千里(ふくしま・ちさと)◆◆
1998年渡米。ライター&フォトグラファー。ニューヨーク州立大学写真科卒業後、「地球の歩き方ニューヨーク」など、ガイドブック各種で活動中。10年間のニューヨーク生活の後、都市とのほどよい距離感を求め燐州ニュージャージーへ。趣味は旅と料理と食べ歩き。園芸好きの夫と猫2匹暮らし

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