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見送りの儀式

今回のテーマ:桜

by 福島 千里

アメリカ東海岸の桜の名所というと、一番最初に名が上がってくるのはニューヨークの南方(車で約5時間)にあるワシントンDCだろう。毎年3月下旬から4月上旬にかけては全米屈指の桜祭りが催され、ポトマックリバー湖畔の美しい桜並木を一眼見ようと全米中から人が集まってくる。やがて桜前線は北上し、4月上~中旬にはここニューヨーク市界隈に到達する。日本でいえば、東北地方と同じようなタイミングだろうか。人気のセントラルパークには桜を見ようと連日多くの人が集い、市内各所で薄桃色の花が花開き、それまで寒々しかった街の景色を上品に彩ってくれる。そんなわけで、日本人にとって特別な存在である桜は、ここアメリカ東海岸に暮らす人にとっても親しみのある存在だと思う。在米23年となる私もうちなる日本人の血が騒ぐのか、毎年この時期になると毎日桜の開花状況が気になって仕方ない。

ニュージャージー州の桜

ニューヨーク市内の桜も魅力的なのだが、ニュージャージー州在住の私が足を運ぶのは、州内ニューアーク市にあるブランチ・ブルック・パークという郡立公園だ。1895年に作られた歴史ある公園で、長さ約6.4キロメートル、幅約40メートルの細長い園内には、なんと20種以上、5000本もの桜が植樹されている。知名度こそ高くはないものの、その多様さ、樹木数でいえば、ワシントンDCの桜(約3800本)をも凌ぐ規模で、ニューヨーク市内から小旅行感覚でここを訪れる人も珍しくない。

ブランチ・ブルック・パーク内には園内に植樹された桜に関する情報センターもある

長雨が続いた今春、開花予定の時期はずっと曇天が続いていた。この日も朝からどこかはっきりしない天気だった。しかし、予報では今晩から降る雨は向こう数日間続くらしい。おそらく今を逃せば、花はすっかり散ってしまうだろう。そう思った瞬間、私は家を飛び出していた。

自宅から20分ほどのドライブの後、目的地のブランチ・ブルック・パークに到着した。時刻は午前7時30分。平日早朝の駐車場はガラガラだった。車を止め、さっそく桜を求めて園内の歩道を歩き出した。

早朝の園内は人気が少なくて静か

桜は8分咲きだった。まだ人気のない園内を黙々と歩き進める。満開時の豪華さにやや欠けるものの、こうして静かな時間帯にゆっくりと花を堪能できるのは何よりだ。歩道のすぐ傍を流れる川のせせらぎ、鳥の鳴き声が耳に心地よい。そして風がそよぐ度にざわめく桜の木々と、まだひんやりとした空気に乗って運ばれてくる花の甘い香り。その瞬間、ようやく長く厳しい冬が終わり、今年もまた無事に季節が変わりつつあるのだと実感した。

川沿いの歩道をのんびりと歩く。ここでの時間はゆっくりと過ぎていく

ひとしきり園内を散策した後は、急足で駐車場に戻った。時刻は午前9時。ガラガラだった駐車場はいつのまにかほぼ満車になっていた。今夜は雨の予報が出ている。きっと、この花見のタイミングを逃すまいとさらに人が集まって来るだろう。

ここ数年、私にとって花見は冬の終わりを見届ける儀式として定着している。今年も儀式を無事終了し、帰宅すべく速やかに車に乗り込んだ。

沿道を彩る薄桃色の桜のトンネルをくぐり、園内を目指す人と車の流れに逆らって、道をどんどん進んでいく。

さようなら、東海岸の長い冬。
もうすぐ眩しい季節の到来だ。

じきに訪れる新緑の季節に胸を躍らせながら、私は爽快な気分で家路についた。


◆◆福島千里(ふくしま・ちさと)◆◆
1998年渡米。ライター&フォトグラファー。ニューヨーク州立大学写真科卒業後、「地球の歩き方ニューヨーク」など、ガイドブック各種で活動中。10年間のニューヨーク生活の後、都市とのほどよい距離感を求め燐州ニュージャージーへ。趣味は旅と料理と食べ歩き。園芸好きの夫と猫2匹暮らし


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