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「犯罪都市ニューヨーク」への旅

今回のテーマ:旅行
by らうす・こんぶ


日本がバブル景気に沸いていた頃、私は「オラ、ニューヨークさ行くだ」モードになっていた。タイトルにニューヨークとあればその番組を見、表紙にニューヨークとあればその雑誌を買い、ヘアサロンに置いてあった雑誌に「ニューヨーク特集」を見つけると、この雑誌をコピーさせてくれとお店の人に懇願する、という具合だった。

その頃、たまたまテレビで武田鉄矢さんがニューヨークの地下鉄構内とかハーレムあたりの危険な匂いがする場所をレポートするという番組を見た。番組タイトルは確か「犯罪都市ニューヨーク24時」。番組の中では真夜中頻繁にパトカーのサイレン音が鳴り響くなど、タイトルに見劣りしないような不安を掻き立てる演出がされていた。

その頃日本ではニュートラ(ニューヨーク・トラディショナル)という言葉が流行っており、日本から見たニューヨークはライフスタイルやアート、音楽、ファッションなどで世界をリードするかっこいい街だったが、その反面、犯罪が多発する危険な街の代名詞でもあった。「犯罪都市ニューヨーク24時」というおどろおどろしいタイトルのせいばかりではなく、ニューヨークを舞台にした映画なども人々に危険な街の印象を刷り込んだかもしれない。

そのニューヨークへと私はひとり旅立つことにしたのだ。親やニューヨークに行ったことのない友人たちは心配した。何しろ「犯罪都市ニューヨーク24時」である。私自身も悲壮な覚悟をしていた。

「ニューヨークには子供だってたくさんいる。子供が住めるところなら大人の私が生きて日本に帰れないようなことはないだろう」

                🔳

カナダ経由でラガーディア空港に向かった。外はもう暗くなっていて、ニューヨークが近づいてくると、私は電車の窓に鼻をペシャンコに押し付けて外を見ている子供みたいに、眼下に見える黄色くキラキラ光るビーズのような車のライトの帯から目を離せなかった。いく筋もいく筋も流れるビーズの流れは本当に美しかった。

そして飛行機の高度が下がっていくと、頭の中で「タッタタリラ、タッタタリラ、タッタタリラッタ♩」と、ライザ・ミネリの「ニューヨーク、ニューヨーク」の曲が鳴り始めた。「期待に胸を踊らせる」という表現があるけれど、あの時の私はまさにそれだった。

ところが、空港に降り立ち、バッゲージクレームから荷物を引き上げると急に現実に引き戻された。「犯罪都市」に着いちゃったのである。さあ、何が起こるかわからないぞ。私は旅慣れてはいないし、アメリカの空港なんて初めてだから勝手がわからない。昼間だったらまだしも夜だったし、モタモタしていたら周りの人たちはどんどんいなくなってしまう。心細いったらない。

とにかくタクシーでマンハッタンのホテルまで行かなければならない。スーツケースをコロコロしながらタクシー乗り場に行き、「ああ、これがイエローキャブか」と思いつつ運転手さんに行き先を告げた。私は見るからにニューヨーク初心者だったに違いない。遠回りして料金をぼったくられるとか、財布を取られるとかしないだろうか。さらにはもっと最悪なケースをいくつも想定しては心臓バクバク。

やがて、タクシーはハイウェイのようなところを抜けて人気のない通りに入っていった。商店はもうしまっていて街灯も少ない。あたりにはゴミが散らかっていて、そういう先入観を持って見るからかなんだか物騒な感じ。その辺からピストルの弾が飛んできたりしやしないかと生きた心地がしない。

「ここ、どこ〜💦」

全く土地勘がないのでその時はわからなかったが、どうやらハーレムあたりを通過していたらしい。ちゃんと私が泊まるホテルまで行ってくれるのだろうか。疑心暗鬼は膨れ上がるばかりだった。

が、30分くらい走るとようやく人通りが多くなって、私はやっとひと心地ついた。やがてタクシーはアッパーウエストサイドのブロードウェイをちょっと入ったところにあるホテルの前で止まった。私はドライバーに料金とチップを渡すと、スーツケースを引っ掴んで猛ダッシュでホテルに駆け込んだ。ノロノロしてたらピストルの流れ弾に当たって死ぬかもしれない、とマジで思っていた。

その頃たったひとりだけいたニューヨークの友人が予約してくれたホテルだった。フロントでチェックインをすませると、お腹が空いていることを思い出した。近くで食事ができるところはないか聞くと、フロントの人はブロードウェイに行けばいくらでもレストランがあると教えてくれたが、私は「犯罪都市ニューヨーク」では一瞬の油断が命取りになると本気で思っていたから、「こんな時間(夜の9時ごろだったと思う)に一人で外に出て危険じゃありませんか」と聞いたら、笑われた。

部屋に荷物を置いて、恐る恐るブロードウェイに出てみた。あの、日本でも誰もが知ってるブロードウェイ。ミュージカルで有名なブロードウェイだ。そこは煌びやかで光に溢れていて、歩いている人たちは快活に笑い合っていた。危険な感じはどこにもなかった。前を見ても後ろを見ても右を見ても左を見ても、どうやらそこは本当にニューヨークはマンハッタンのブロードウェイであるらしかった。私に急に四方八方からライトが当たったような気がした。まるでニューヨークが舞台の映画の中にいるようで夢心地だった。

これが、私のニューヨーク物語の幕開けだった。ラガーディア空港は日本の空港のように近代的で明るい建物ではなく、薄暗くて、まずそのことに驚いた。そこからタクシーで暗くて人気のない危険な感じがするエリアを通る。そこを抜けるとパッと急にブロードウェイのショーでも見ているような華やかな通りに出る。こんなに闇と光のコントラストが見事な街を見たのは初めてだった。あの時のニューヨークの印象は今も変わらない。




らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote:

昼間でも聴ける深夜放送"KombuRadio"
「ことば」、「農業」、「これからの生き方」をテーマとしたカジュアルに考えを交換し合うためのプラットフォームです。


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