見出し画像

自分の日本食はもう幻?


今回のテーマ:恋しい日本食
by 阿部良光

恋しい日本食と言っても、ここNYはほとんど日本のように、大抵の物が揃っている。ちょっとオーバーかもしれないが、その気なら日本人だけと付き合って、日本食だけ食べて、日本語の本を読んで、それこそ最小限の英語を使ってでも、生きていくというのは可能な感じだ。

とはいえ、地方の特産品みたいなものは、なかなか入手できない。 Covid前までは、日本食料品店などで物産展などはやっていたが、人気のある地方の特産物じゃないと赤字になる手前、それも叶えられない。しかし例えば北海道や沖縄、京都などの特産展はよくやっていた記憶がある。 その特産物は確かに珍しく珍味ではあるけど、北海道育ちでもないので別段恋しくはならないが、もっと子供の頃に食して育った土着性の物は懐かしく、多分、エモーショナルに恋しくなるのだろう。

宮城県の離島育ち。冬時分よく「ドンコ汁」という味噌汁を食べさせられた。その頃は別段美味しいと思って食べていた訳ではないが、今思うと本当に出汁が効いた逸品物だ。何の手の込んだ仕掛けがあるわけではなく、ただ豆腐と長ネギを入れただけだと記憶する。

因みにドンコとは、今で言う椎茸ではなく、魚のエゾアイナメだ。 家族で食卓を囲む楽しい時間というより、田舎の重苦しい寒気が漂う中、男子は黙って食事に専念の記憶しかないが、それでも家族団欒みみたいな空気を演出するのに、どんこ汁から立ち昇る湯気は一役買っていたかもしれない。

夏時分はウニ味噌汁。ジャガイモとサヤインゲンとたっぷりのウニが入っていた。子供の頃だし、ウニより牛肉豚肉への憧れが強く、いまいち満足度が薄かったと思う。今人に話すと、何とも贅沢な味噌汁と驚かれるのだが、ウニそのものがコロンコロンしていて、確かに紛れもなく今は贅沢だ。 そして海水浴に行って獲った鮑やウニやツブ貝を、その場で焚き火に放り投げて焼いた、今で言えばバーベキュウ。これは夢にも出てきたが、悪友たちとの遊び戯れの方に、メランコリックな思い出の重点はあったかとは思う。

また磯浜から採れるワカメとメカブは、やはり購買品とは一味違う。ワカメに熱湯を注ぎ、刻んで生姜と酢醤油で食べると、何とも最高の香りと味。あれは未だ高級レストランでもお目にかかっていない気がする。メカブの食感と香りもまるで違う。 これが「恋しい日本食」というよりは、「懐かしい日本食」だ。

ついでにもう一つ思い出話を書くと、初めて東京で見た刺身は、田舎のその日獲れた魚介に比べると、あまりに鮮度が落ちていて慣れるのに時間がかかった。もちろんそこらの食堂で提供される物だったが、現代のように物流システムの発達と口が肥えた消費者のニーズには、こんなことはもうあり得ないだろう。 その島にはもう甥夫婦だけしかいない。 しかも漁師でもないので、こんな味はもう幻になってしまうのは必定だ。



[プロフィール] 1980年10月自主留学で渡米。しょうがなくNYに住み着いた、”汲々自適”のほぼリタイアライフ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?