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故郷の尺寸法

今回のテーマ:ふるさと

by 河野 洋

理由はどうあれ、異国の地に足を踏み入れた者たちは、少なからずふるさとを恋しく思う瞬間があるはずだ。それは母の手料理かもしれないし、幼馴染かもしれない。故郷とは自分自身の原点であり、出発点だ。だから振り返って自分がどれくらい遠くに来たのか、以前と比べてどれくらい変わったのか、自分自身の成長や変化をいろんな物差しで故郷との距離を測ってみる。

筆者が29年前に離れた名古屋の実家と現在の居住地ニューヨーク市の距離は、約11,000km。実家まで歩いて行くとすれば、137,500分、約2,292時間、つまり95日ほどかかる計算になる。いくら故郷が恋しいからと言って3ヶ月もかけて帰ることはできない。もちろん飛行機なら、ひとっ飛びだが、そうだとしても私にとって、故郷は遥か彼方だ。

では、味覚で故郷を味わってみるのはどうか。ニューヨークも本当に便利になって、寿司はもちろん、ラーメン、うどん、トンカツ定食、たこ焼きまで日本食を楽しめるレストランも、納豆や味噌、醤油、じゃがりこだってガリガリ君だって買える日本食料品店も沢山ある。だから故郷を味わうだけなら、10ドル(約1,100円)もあれば大丈夫。故郷はそれほど遠くない。

今でさえLINEやSKYPEで海外通話が無料になったが、私がアメリカに来た1990年初頭にそんな便利なものはなく、国際電話か郵便で故郷の家族や友達とアナログ交信をしたものだ。国際電話を使ったりしたものなら、寂しさを紛らわす為の通話時間が増え続け、酷い時は電話料金が月に10万円近くになった。米国横断、欧州縦断一人旅をした時も、郵便の受取住所を貸してくれる友人や知人がいたニューヨークやアムステルダムに郵便を送ってもらって、故郷から届く家族や友達の手紙に寂しさを紛らわせてもらったが、手紙だと故郷へのメッセージは少なくても1週間かかるし、電話だとお金がかかる。通話料金がかからないネット電話と言えども、時差はあるし、やはり故郷は直ぐには手が届かない。

環境の違いや現在の社会的な自分の位置を知ることも故郷との距離を感じる1つの基準だろう。それは英語の能力だろうし、自分の周りを取り囲む人たちだろう。困難や助けが必要になった時、相談できる人は何人位いるとか、実際にどれくらいの人が、損得勘定抜きで、自分の為に動いてくれるとか。だから、故郷にいた頃の自分と今の自分の違いが大きければ大きいほど、自分の成長を感じることができるし、故郷を慈しむ気持ちが大きくなるのだと思う。

そして、その違いが実感できる道のりや歴史は自分にとって正にプライスレス。お金で買えない故郷は、やっぱりかけがえのない宝物です。

2021年7月11日

河野洋、名古屋市出身、'92年にNYへ移住、'03年「Mar Creation」設立、'12年「New York Japan CineFest」'21年に「Chicago Japan Film Collective」という日本映画祭を設立。米国日系新聞などでエッセー、音楽、映画記事を執筆。

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