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ワタシ的マスク変遷

今回のテーマ:マスク

by   萩原久代

 2020年1月、旧正月を迎える季節に私は香港にいた。中国武漢市がコロナ感染対策のためロックダウンした頃、香港ではコロナ感染数は少なかったが、街行く香港人は100%マスクをしていた。その迅速な対応にちょっとびっくりした。薬局の前にはマスクを求める人の長い行列ができた。私はこの街全体の危機感に圧倒された。香港は2003年に重症急性呼吸器症候群(SARS)で多くの犠牲者を出したから、香港人の記憶に強く残っているせいであろうか。危機意識が非常に高かった。

 焦った私は入手可能なマスクを買いあさった。1年くらいは保ちそうな数を入手した。これから世界どこでもマスク不足は深刻になるかもしれないと思った。しかし、まさか米国でコロナ感染があれほど急速に広がるとは思ってなかったが。

 2020年3月はじめ、私はルンルン気分でニューヨークに戻った。誰もマスクなんてしてなかった。が、1週間もすると爆発的にコロナ感染が広がり、3月中旬にはいよいよニューヨークでもマスクが必要になった。私はすでに様々なマスクの在庫を持って帰っていたので、ひとまずこの急な変化に耐えた。

 しかし事態はどんどん悪くなっていく。3月末に香港から戻る予定だった夫は、予約したフライトのキャンセルによって香港で足止めとなった。もう香港からの直行便はなくなり、どんどん国際便がキャンセルされた。ニューヨークに一人でいるのが怖くなった。4月上旬、ニューヨークから最後の東京直行便に飛び乗り、そこから香港に戻った。

 マスク是非論議はさておき、あれから2年半、マスクと共に生きてきた。どんなマスクを選ぶかは人によって様々だろう。私もいろんなマスクを試してみた。

 2020年春から夏にかけて、私はバルブ付きのマスクが気に入っていた。息がしやすく、特に長時間フライトには最適だった。しかしその夏には飛行機内での使用が禁止されてしまった。バルブを通してウィルスが拡散するからだという。
 
 2020年9月、コロナが下火になったので、私は東京経由でまたニューヨークに戻った。その頃のお気に入りマスクは、2020年5月に香港政府が無料配布したマスクだった。CU マスクという名称で綿製のものである。中央部分が緩い山型デザインで、長時間つけても息苦しくならなかった。しかも抗菌性のある銅成分を含んだ6層フィルターが挟み込まれていた。毎日洗って60回使えるということだった。巷の噂では、製造はユニクロとH&Mに委託されたそうだ。でも香港人は模様が下着みたいだと嘲笑い、全く人気がなかった。香港でCUマスクをしている人はほとんど見かけなかった。そんなわけで、友人達から未使用CUマスクを私は譲り受け、1年以上使える在庫を持つことになった。


香港政府が無料配布したCU マスク。フィルター(手前下)は綿マスクから取り外しができる。


 しかし… 1年も経つと毎日のマスク洗いが面倒になった。洗濯機ではなく手洗い向きにできていたからだ。

 そんなわけで2021年春頃からは、使い捨てのサージカルマスクとN95マスク に切り替えた。世界各地でデルタ株が猛威を振るい、その後はオミクロン株があっという間に広がったから、マスクはずっと必需品になった。結局、近所のスーパーなどへはサージカルマスク、一方、電車や飛行機、混んだ場所に行く時はN95マスク、と使い分けた。なるべく中央が山型デザインで、少しでも息がしやすいものを使った。お気にいりなどはない。もう、どれでも構わない。早く普通に呼吸したい!と願う毎日だった。さすがにマスクに飽きてきた。

 ニューヨークでは屋内マスク着用義務が続いたものの、2021年夏ごろから屋外ではマスクをかけない人が増えていた。今年2月には屋内着用義務が緩和された。今ではバスや地下鉄に乗る以外に、ほとんどの人がマスクをしてない。マスクをするかどうかは自由裁量である。

 香港や日本では今もみんながマスクをしているが、この夏、ニューヨークで私はやっとマスクフリーになれそうだ。そろそろマスク在庫も断捨離の対象かな、と思ったが、将来またコロナ変異株出現の懸念もある。やはりとっておこう、と思いとどまっている。

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萩原久代
ニューヨーク市で1990年から2年間大学院に通い、1995年からマンハッタンに住む。長いサラリーマン生活を経て、調査や翻訳分野の仕事を中心にのんびりと自由業を続けている。2010年からニューヨークを本拠にしながらも、冬は暖かい香港、夏は涼しい欧州で過ごす渡り鳥の生活をしている。コロナでそのリズムが狂ってなかなか飛べない渡り鳥となっている。

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