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朝からコーラですか?

今回のテーマ: ダイエット(Diet =「食事」の意味で)
by  萩原久代

ニューヨークでの学生時代、ルームメートふたりと3人でアパートをシェアしていた。心理学専攻のリンは、ちょっとメグ・ライアンに似ていて、金髪ですらっと背が高かった。英文学専攻のメリーは、ぽちゃっと太り気味、背も低かった。20代前半の二人の食生活を見た私はびっくりした。

リンは、朝一でコカコーラをコップ2杯飲み、グノラバーやクラッカーをかじって、学校へ向かった。え〜、朝からコカコーラですか? 彼女によると、コーヒーのようにカフェインが入っているわけだから、朝コーラを飲むと目が醒めるとか。コーヒーが好きではない、という理由だった。シェアしているキッチンの冷蔵庫には3リットル入りくらいのコーラの巨大なボトルがいつもあった。

彼女は昼は学校のカフェテリアかキャンパス近くでサンドイッチなどを食べていた。夜はアパートに戻ると、パスタをよく作って食べていた。パスタソースは、もちろん、スーパーで売っている瓶詰めのものだ。トマトソースやバジル系ソース各種を冷蔵庫に常備していた。ハンバーガーやピザも好きで、近くのお店でテイクアウトすることもしばしばあった。

一方、メリーは、朝はヨーグルトやコーンフレークなどを食べてから学校に向かった。ランチは、リンと同様にカフェテリアかキャンパス近くでサンドイッチやベジ・バーガーなどを食べていた。彼女は肉系の食事が体質に合わないそうで、ハンバーガーは絶対食べなかった。夜は、キッチンで米(時には玄米)、豆類(えんどう豆や雛豆など)をお鍋で煮て、根菜やグリーン野菜を入れて夕食を作った。これが、ほぼ毎日の彼女の夕食であった。彼女が使う豆類は缶詰のもので、キッチンのパントリーにはいろんな豆類の缶詰が並んでいた。

リンの食生活を見ていると、もっと太ってもいいはずなのに、すらっとして余分な脂肪がついてなかった。メリーのほうは健康的な食事をしてると見えたのだが、太っている部類に入る。遺伝子のせいなのか。ただ、メリーは、ご飯の量が多く、夜にチョコレートやアイスクリームなどをよく食べていた。それが体型に影響しているのだろうと推測する。

というのは、夜のアイスクリームは、私の経験では一番太る原因だと思うからだ。オハイオ州の田舎の大学で3食をカフェテリアで食べる生活をしていた20歳の頃、私は超アメリカンの高カロリーで大盛りの食事と夜のアイスクリームにハマった。ほぼ毎夕食後にアイスクリームを食べてしまった。アメリカサイズの山盛り、チョコチップス入りバニラ、ナッツ入りチョコアイスが大好物になった。1年間で体重は9キロ増加した。

さて、アメリカでは1980年から、米国農務省(USDA)及び米国保健福祉省(HHS)が5年毎に「米国民向け食生活指針」(Dietary Guidelines for Americans)を発表し、国民の健康を増進する努力をしている。

当指針は、栄養を満たして健康的な生活を実現するために、何を飲食すべきかというガイドラインを提供するものだ。しかし、こうした努力もむなしく、指針に沿った食生活をしているアメリカ人をあまり見たことはない。

それもそのはず。指針を発表する担当省でさえ、「ほとんどのアメリカ人は依然として食生活指針に従っていない」と認識している。「平均的なアメリカ人の食事は、健康的食事指数 (HEI) のスコア100 満点で59 点に留まる。HEIは食事が食生活指針にどの程度適合しているかを測定するものだ。研究によると、HEI の点数が高い食事をとるほど、アメリカ人の健康状態は改善されると示されている。」と分析する。

中年になったリンは糖尿病だそうだ。メリーはコレステロール低下のための薬を飲んでいる。私は、というと、たぶん、アメリカの食生活指針に適合度が高めの食事をしていると思う。糖類、飽和脂肪、ナトリウムなどが多い食品・飲料の摂取量は少なめで、アルコールもほどほど(週に数回、一回にビールやワイン2杯程度)と無理なく続けている。遺伝子も幸いしてるのか、今のところは薬なしで生きている。

私の場合、一時的に増えた9キロの体重から減量はしたものの、BMI(Body Mass Index)が理想値(22)を超えた高めの数値のままである。肥満値25に届きそう。。。たぶん、食べる量が多くてカロリー摂取量(1日)が2000kcalを超えているのだろう。そして運動不足と自己反省する。

それで、日本で洋服を買う際はL〜XLサイズになってしまう。が、アメリカではMサイズでピッタリ。洋服サイズは国際基準で統一されてないから、アメリカのMサイズは大きめだ。でも、Mサイズならいいか。
そのせいで、私は自分の横幅を問題視しなくなってしまった。

PS: 日経のこんな記事(↓)を読むと、私のBMIでいいかも、と思ってしまう。


萩原久代
ニューヨーク市で1990年から2年間大学院に通い、1995年からマンハッタンに住む。長いサラリーマン生活を経て、調査や翻訳分野の仕事を中心にのんびりと自由業を続けている。2010年からニューヨークを本拠にしながらも、冬は暖かい香港、夏は涼しい欧州で過ごす渡り鳥の生活をしている。

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