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リベンジ旅行をしてみた(その2)

今回のテーマ: ゆく年くる年
by  萩原久代

いよいよ2023年はあと2日。今年はリベンジ旅行の年となった。リベンジ旅行の目的地は初めて行くルーマニアとポルトガル。今回はポルトガル編

前回のルーマニア編はこちら。

2)ポルトガル、リスボン(のんびり6泊7日の旅、7月初旬)
初めてのポルトガル、首都のリスボンにゆっくり滞在することにして、日帰りで行ける観光だけにした。中心部から地下鉄で5駅くらい北にある住宅地のホテルをブックイング・ドットコムで予約した。一泊120ドルで朝食付き。リスボンの物価は、パリより3割程度は安い感覚だった。

* リスボン中心街

7月だから酷暑を心配したが、日中は30度を越えたが乾燥していてカラッと暑く、朝夕が20~22度くらいまで下がって風も涼しくヒンヤリとした。過ごしやすかった。

地下鉄とバス、トラム、近郊列車で移動が非常に簡単だったので、ウーバーやタクシーは使わなかった。日本のSuicaのようなVivaカードを購入してチャージしてプリペイカードとして使う事にした。カード発行に0.5ユーロ、市内は1.45ユーロでどこでも行けた。5ユーロくらいづつチャージしながら、カード残金をチェックして余りが多く出ないようにした。

中心街を走る黄色いトラムがかわいい。

リスボンでも無料ウォーキングツアーで、市内中心部の歴史と建造物などを見て歩くツアー(Lisbon Intro Tour)に参加した。まず急な坂を上り、見晴らしの良い丘のサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台(Miradouro de São Pedro de Alcântara)からリスポン街並みを眺めて歴史の話を聞いた。

リスボンには7つの丘があり、そのひとつサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台。サン・ジョルジュ城とリスボンの街並みが一望できる。

そこから別の坂を下ってバイロ・アルト(Bairro Alto)、リスボン中心地区の一つを歩く。住宅・娯楽が混在する地区でナイトライフの中心でもある。そこからサンタ・ジュスタのエレベーターを横目で見ながら、バイシャ・ポンバリーナ(Baixa Pombalina)地区の石畳の幅広い目抜通りを歩いて、海の見えるコルメシオ広場が終点。3時間弱でリスボンの中心街を歩く。
リスボン無料ウォーキングツアー https://www.takefreetours.com/lisbon-free-tour

無料ウォーキングツアーは、世界各地の都市で展開されてるようだ。現地ガイドさんは若者で、それぞれキャラが違って土地柄というか、お国柄というか。。。リスボンのお兄さんはイケメンのジョーク好きだった。ルーマニアでの真面目なガイドさんとは大違いだった。

さて、ポルトガルというと色鮮やかな装飾タイル「アズレージョ」のイメージが強い。国立タイル博物館(Museu Nacional do Azulejo)に行ってみた。中心街からバスで20分くらい、観光地から外れた何もないところにあった。元修道院だった建物に15世紀から現代までの歴史的にも芸術的にも価値の高い多くのアズレージョが展示される。

17世紀以降に増えてきた青と黄色のパターンを使ったアズレージョは美しい。
博物館の一部である隣接の教会の壁を青と白の大型タイル飾る。訪問した日は結婚式が行われており、残念ながら中に入れなかった。博物館上階から教会内を垣間見た。バージンロードを花嫁が歩く。

リスボンでは食べ歩きも楽しい。なんといっても、庶民的な料理はタラとイワシ。海鮮料理も肉料理も美味しかった。が、塩味が強い傾向にあった。

ランチで食べた焼きイワシ定食。けっこう大きなイワシ姿焼き。ポテトとサラダ付き、ワインを飲んでも9ユーロだった。もう一皿は数種類の鴨肉・ソーセージ入りカリカリ焼きご飯(Arroz de Pato)、こちらもワイン付きで9ユーロだった。

エスニック系レストランも色々とあるが、ポルトガルの植民地だったインドのゴアとモザンビークのフィージョン料理をトライしてみた。モザンビークにはゴア出身のインド系住民が住んでおり、ポルトガルとゴア料理をベースに現地の味に加えたというユニークなレストランに行ってみた。辛くないインド料理という印象だったが、スパイスの香りがなかなか良かった。

モザンビーク風サモサ(Chamuças)、エビとオクラのココナッツカレー煮(Camarão com Quiabos)、ヤギ肉のシャクティ(Chacuti de Cabrito:シャクティはインドゴア州の料理で、肉をスパイスで煮込んだもの)

そして、ポルトガルと言えばエックタルト。リスボンでもベレンでも沢山食べたのに写真を撮らなかった。。。

* ベレン(Belem)

午前10時過ぎからバスに乗ってベレンに行ってみた。UNESCOの世界遺産リストに載っているジェロニモス修道院(Jerónimos Monastery)とベレンの塔(Torre de Belem)がある地区だ。リスボン中心部から30分くらいで到着した。30度を越えて日差しが強くて暑い日だったが、すでに修道院の前にはチケットを持った人の長い列ができていた。入場券をまず買う。大人12ユーロ、65歳以上シニアと学生は半額だった。250メートルくらいの列だったが、思ったより早く動いて20分くらいで中に入れた。

ジェロニモス修道院では、精緻なレリーフが刻まれた55メートル四方の回廊が美しい。

修道院の中はゆっくり回っても40分くらいで終わった。修道院の隣にはサンタ・マリア教会があり、こちらは無料で列もなくすぐに入れた。ここにはヴァスコ・ダ・ガマの墓がある。その後、ベレンの塔まで歩いて行った。平坦な道を1.3キロの距離だが、暑かったのでどっと疲れた。中には入らずに、近くの木陰のベンチに座って涼んで外観だけにした。

川沿いの道を歩いて戻って、「発見のモニュメント」(Padrão dos Descobrimentos)の前を通って駅へ向かった。大航海時代を記念した記念碑で、1940年の国際博覧会の際に制作された。大航海時代の幕を開いたエンリケ航海王子の像が先頭に立ち、その後ろに探検家、芸術家、科学者、宣教師らの像が続く。エレベータでモニュメントを上れるのだが、外から見るだけにした。

発見のモニュメントには、日本に渡来したフランシスコ・ザビエルの像もあるのだが、この写真の反対側にいるのだが、反対側の写真を撮るのを忘れてしまった。

* シントラ(Sintra)

世界遺産のシントラ(Sintra)へ日帰りで行った。リスボンのロシオ駅から40分ほどでシントラ駅に着く。Vivaカードを使って往復5ユーロくらいだった。

シントラはポルトガル王家の夏の避暑地だった場所で、今回行きたかった場所は山の頂上にあるペーナ宮殿(Palácio Nacional da Pena)とムーア城跡(Castelo dos Mouros)だった。時間があればシントラ国立宮殿(Palácio Nacional de Sintra)にも行きたかったが、やはり行けなかった。

シントラ駅に10時過ぎに到着、駅前にバス434番が待っており、それに乗ってまずムーア城跡に行った。片道4.1ユーロだった。ムーア城跡で1時間ほど過ごし、そこからペーナ宮殿まで徒歩で行き、帰途は宮殿から下りのハイキングコースを歩いて駅に帰ることにした。

ムーア城は、もともと8~9世紀にアフリカ北西部のイスラム教徒「ムーア人」によって築かれたが、1147年に初代ポルトガル王のアフォンソ・エンリケス王のキリスト教勢力軍に攻撃されて、城は同勢力軍の手に渡った。14世紀には修復されたが、18世紀の大地震で崩壊した。19世紀から石垣や一部構造物の修復と保存が進み、20世紀から城跡として森林庁によって管理されている。入場料は8ユーロ、6歳~17歳までと65歳以上シニアは6.5ユーロ。事前にオンラインで購入しておいた。

ムーア城跡は450メートルの高さにあり、360度の視界で周囲が見渡せる。

ムーア城跡を後にして、ゆっくり45分ほど上り坂を歩き、ペーナ宮殿に到着した。こちらもオンラインで入場予約時間指定のチケットを買っておいた。宮殿と庭園入場料は14ユーロ、6歳~17歳までと65歳以上シニアは12.5ユーロ。

ペーナ宮殿へは13:30入場して、音声ガイドを聞きながらゆっくり見学し、テラスでの軽食を含めて2時間くらいかけた。観光客で混んでいた。ペーナ宮殿は、女王マリア2世と王配フェルナンド2世が1842年から建設を始め、1854年に完成した。マリアはその前年に死去したので実際には住んでいない。

建築様式はゴシック・リバイバル、ネオ・マヌエル様式、ネオ・イスラム様式などが混在していて、外壁色も鮮やかである。
宮殿には様々なタイルも使用されている。

3時過ぎに庭園を散策して、「エドラ伯爵夫人のシャレーと庭園」(The Chalet and Garden of the Countess of Edla)も見学した。こちらはガラガラだった。エドラ伯爵夫人は、フェルナンド2世の後妻で、スイス系アメリカ人のオペラ歌手のエリザ・ヘンスラーのことである。マリア2世の他界後、1869年にフェルナンド2世と結婚した。二人は、母屋のお城ではなく、大庭園の片隅にある自然の中のシャレーでの静かな二人の生活を好んだという。

スイスの山小屋(シャレー)建築のようなエドラ伯爵夫人のシャレーはこじんまりとしている。

庭園をでてハイキングコースを下って駅まで歩いた。ゆっくり歩いても40分くらいで駅に到着できる。

初めてのボルトガルは、リスボンだけでのんびりとした。ポルトガルの演歌のようなファドのコンサートにも行ってみた。通常はレストランで食事をしながらファドを楽しむようだが、歌は歌だけでじっくり聴きたいと思った。ファド博物館も行ってみた。往年のファド歌手の肉声が聴けて、ファドの歴史に関する展示やポルトガルギターなどが展示される。

ゆく年くる年、来年も行った事ない国を旅行をしてみたい。
A Happy New Year!


萩原久代

ニューヨーク市で1990年から2年間大学院に通い、1995年からマンハッタンに住む。長いサラリーマン生活を経て、調査や翻訳分野の仕事を中心にのんびりと自由業を続けている。2010年からニューヨークを本拠にしながらも、冬は暖かい香港、夏は涼しい欧州で過ごす渡り鳥の生活をしている。

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