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地下鉄〜階段飛行

今回のテーマ:地下鉄

by 河野 洋

私が住むクイーンズ区は、地下鉄と言っても地上を走る区間が多く、どす黒い線路の間を所狭しと駆けまわるネズミたちから連想される不潔なイメージは余りない。青い空や白い雲が地下鉄の屋根を作る。私にとってニューヨークの地下鉄はそんな乗り物なのだ。

しかし、私にとっての地下鉄の一番の思い出は、忘れもしない2013年7月29日に起きたある事故以外思いつかない。それは、おぞましい、いま思い出しても戦慄が走る衝撃の出来事で、しかも、何の前触れもなく起きた。

当時、マンハッタンのアッパーイーストに住んでいた私は、朝食をすませると、いつものように仕事で86丁目の駅へ向かった。前夜、お酒を飲んだかどうかは記憶にないが、前日のお酒が残っていなかったことは断言できる。マンハッタンは文字通り地下鉄のプラットフォームが地下にあるので階段を降りていくのだが、事件が起きたのは、その時だ。

「あの階段」はアメリカでは不吉な数字として知られる13段だったと思う。最初の半分の階段を下り、踊り場で折り返して、残りの半分を降りるところだった。それは右足を踏み出した時のこと、あの時ばかりは時間が完全に止まった。靴のつま先が地面に引っかかって私の体が一瞬宙に浮いたのだ。それはまるで再生中の動画を一時停止したかのように。その瞬間、私の上半身はスローモーションで前のめりになり、僕の左腕は、藁をも掴むかのように、手すりに向かって数十センチ伸びきった。そして頭の中は真っ白になり、瞬間、生命の危機を察知した。「このまま落ちたら死ぬかもしれない!」

そんな恐怖心をかき消すように、体は急降下を始めた。階段と私の体は見事なパラレルを作り、そのまま3回転ほどしながら、わずか2、3秒で一番下のプラットフォームに着地した。ゴロン、ゴロン、ドスン!私の体が地面に体当たりした大きな音を聞くや否や、地下鉄を待っていた一人が、地面で横になっている僕の方を振り返り、「Are you OK?」と声をかけてきた。私は痛いことよりも階段から落ちたという恥ずかしさから、着地の時に強打した左膝の痛みをこらえながら、のっそりと立ち上がって、「I’m fine!」と苦笑いしながら答えてしまった。痛いことより恥ずかしいことを気にしてしまう、こういうところはやっぱり日本人気質なのだろうか!?

あとで考えてみると、階段を落ちている時は、地球がぐるぐると回転していることを楽しんだような気がしなくもない。「落ちているぞ、自分」と。実際、階段から転げ落ちた時は、「自分は大丈夫なの?」と自問自答したが、頭は全く打っておらず、痛みは左膝と手のひらの擦り傷程度だったので「無傷」と自己診断してしまい、そのまま地下鉄に乗って移動してしまった。その後も後遺症は出ず、病院すら行かなかったので、いわゆるかすり傷程度で済んだわけだ。あの時、打ち所が悪かったら骨折して入院、下手をしたら頭を強く打って意識を失っていたか、重症だったかもしれない。そう考えると、あの時、私は神様に守られたのだとつくづく思う。

当然のごとく、その事件以来、階段が怖くなってしまい、階段を降りる時は、手すりのすぐ近くを歩くようになった。いつでも掴まれるように。しかし、もう階段飛行は懲り懲りです。

2021年10月17日
文:河野洋

[プロフィール]
河野洋、名古屋市出身、'92年にNYへ移住、'03年「Mar Creation」設立、'12年「New York Japan CineFest」'21年に「Chicago Japan Film Collective」という日本映画祭を設立。米国日系新聞などでエッセー、音楽、映画記事を執筆。現在はアートコラボで詩も手がける。

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