アプリ時代の幕開け
今回のテーマ:ウーバー
by らうす・こんぶ
ウーバーなるものを初めて知ったのは10年くらい前。IT関連の仕事をしている私の生徒さんが日本語のレッスンの時に、「こんな便利なサービスがあるんですよ」と興奮気味に教えてくれたのがウーバーを知った最初だった。アプリを私に見せながら、「ああやって、こうやって。ほらほらこんなに簡単に車を呼べるんですよ」と説明してくれたが、タクシーなどという高額交通手段をまず使わない私はそもそも配車サービスのようなものには関心がなかった。
ニューヨークのイエローキャブは、写真を撮るときに背景に入れて「ここはマンハッタンですよ」とアリバイ工作に使うというような、私にとってはニューヨークの四季を通じての風物詩のようなもので、「眺めるもの」または「背景を彩るもの」であって「乗るものではなかった」のである。私のnoteをたびたびお読みくださっている皆様は、その理由をよおっくご存知だと思います。
だが、それ以上に、アプリをダウンロードして使い方を覚えなきゃいけないちゅうのが私をうしろ向きな気持ちにさせた。アプリをダウンロードして、スマホのちっちゃいモニターでアカウント作ったり、クレジットカードの情報を入力したり、チップの金額を入力したり、ちまちまちまちま。。。あ〜いやだ〜。
そう思ったが、いつまでも抵抗し続けるなんてできないことはわかっていた。世の中の流れに身をまかすしかない。どっちみち流れに棹さしても流される〜のだ。日を追うにつれ、ウーバーを使った人たちが「便利だ」、「簡単だ」というようになり、ウーバーが当たり前になっていき、私は取り残されていくのではないかと焦燥感を抱くようになった。「ウーバー使ってるでしょ?えっ!ニューヨークに住んでるのにウーバーに乗ったことないのぉ?ウーバーのアカウント持ってないのぉ?え〜〜」と言われそうで。
だからと言って必要ないものは必要ないので使ったことがなかったのだが、一般のニューヨーカーに遅れること数年。ついにウーバーにアカウントを持つに至った。コロナのおかげで。
2020年の春先、私はパンデミックに先駆けてコロナに感染してしまった。やっと回復して元の生活に戻れたと思ったのも束の間、今度は右目が網膜剥離になってしまった。コロナの後遺症だろうというドクターもいるが、原因はともかく、網膜剥離は早急に手術をしなくてはいけないので、コロナ禍にもかかわらず手術を受けることになった。
この時初めて通院のためにウーバーを使ったのだ。元気そうに見えても一応患者だし、一番みんながコロナを怖がっていた頃だし、コロナで2週間も伏せっていたあとだし、不特定多数の人たちが乗降する地下鉄には乗りたくなかった。
しかも、病院は地下鉄で行くには不便な場所にあった。イエローキャブがビュンビュン走っているエリアならいいが、ちょっと離れた場所だったりするとタクシーなんか捕まらない。手術に遅れたりしたら大変だ。覚悟を決めてウーバーのアプリをダウンロードしてみると、使い方は思っていたよりずっと簡単だった。それに、アプリを使えばどこにでも車が迎えに来てくれる。なんて便利なんだ。食わず嫌いだったんだなあ。。。
ただ、大勢の人たちが一斉に同じ場所でウーバーを手配するとどうなるか。あるとき地下鉄で移動していると、コロンバスサークルで電車が事故か故障で止まってしまい、。乗客が一斉に地上に吐き出された。私は日本語のレッスンのために生徒さんの自宅に向かう途中だった。遅れるわけにはいかないので、ウーバーを手配した。
他の乗客たちもコロンバスサークルで一斉にウーバーを呼び始めた。ウーバーのドライバーと乗客は電話で連絡を取り合ったり名前を確認し合うものの、狭い場所に乗客とウーバーが集結すると、もう大騒ぎだ。いつもだったらコロンバスサークルの西にいるとか、東にいるとか言えばすぐに見つけられるが、これだけ人と車が多いとまるで野外コンサート会場で友達を探すみたいで、人も車も右往左往。同じような色の車も多いし、同じような見た目の人や似たような名前も多いし。。。
私はウーバーのドライバーと電話でやりとりしながら、「私は白いジャケット着て、今右手を振ってるよー」と手を大きく上げてヒラヒラさせながら360度見回してキョロキョロ。周りの人たちもみんな同じようなことをしていた。車が近づいてきたので、「これだ、これだ」と思って乗り込もうとすると、「〇〇か」と私とは違う人の名前を言われ、近くにいた人がそれを聞いて、「あ、私です」と言って乗り込んでいく。。。
ようやくドライバーと確認が取れて車に乗り込んだが、ドライバーが道を間違え、結局はレッスンに遅刻してしまった。
今思うと、ウーバーの使い初めが私にとってのスマホアプリ元年だったような気がする。あの頃からだ。スマホでアプリ開いて、全てはそこから始まるようになったのは。
らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。
らうす・こんぶのnote:
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