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自分史にみる国籍認識

今回のテーマ:国籍

by  阿部良光

日本人が国籍を最初に意識するのは、もしかするとパスポートを作る時じゃないかと想像する。 1978年、当時のソ連経由で初めてヨーロッパ旅行をした時にパスポートを作ったが、手にしてしみじみとこれが日本人を証明するのか、と感慨深かったと同時に、子供じみた優越感みたいなものさえ覚えた。

横浜からロシアのナホトカにバイカル号という、フェリーというよりは小型客船で渡り、そこからシベリア鉄道でハバロフスクまで北上後、モスクワに向かう車中1泊2日の旅だったと記憶する。当時、このルートが貧乏旅行者に人気だった。記憶にある人はもう少なくなっているかもしれないが、出発の2、3日前に、ソ連の航空兵がミグ戦闘機で日本に逃亡した時でもあった。何も今この時にと、ソ連の対日感情をとても心配したのを覚えている。

とにかく車中では数度パスポートのチェックをされ、大陸横断鉄道でヨーロッパに向かう時は、今戦火に喘ぐキエフを通り、途中立ち寄った東ドイツのドレスデン、チェコのプラハでの大袈裟なチェックがあった。電車から友人と二人だけ降ろされ、野原にポツネンと建つ山小屋のような税関で当然パスポート提出。そして西ドイツのフランクフルトに到着した時は、英語が通じるというだけで全ての規制から解放されたようなホッとした安心感からか、簡単な調べで済んだという記憶がある。 とにかくこれが日本国民を意識した最初だった。

しかし、外国に住むようになってからは、自然に自分のアイデンティティが気になる場面に遭遇する。特にニューヨークのような、個(性)を残して混ざり合う人種のサラダボウルと言われるような都市では、路上で人と出会ったり、友人らとの集まりでさえ、いやでも日本人と意識する場面が出てくる。

もちろん直接何人と聞かれることもあるし、習慣の違いも大きいのだが、もしかしたらそれ以上に愛国心ということにも関係してくるのかもしれない。 取り敢えず愛国心の定義はさて置いて、子供から大人にまで、何度路上で「ニーハオ」と多くのからかいにあったことだろう。多分、悪気はなく我々アジア系は十羽一絡げで中国人と思うのか、日本人の多くが経験していると思う。別にどうでもいいとは思いつつも、「俺は中国人じゃない」とムキになって言い返していた時期もあった。そして彼らの多くはマイノリティーだ。想像するに、彼らが抱える社会的不公平感や鬱屈をこの辺で晴らしているのかも知れない。

また公式、非公式にかかわらず、種々の書類では国籍を聞いてくるものも多々ある。もちろんそこはさすがアメリカ、アジア系でくくったり、選択なしのオプションもあるにはある。最初の頃はその選択に従って書かないでいたが、最近は必ずアジア系や日本人と書き込んでいる。愛国主義者と誇れることは何もしていないから、何か祖国を思うノスタルジーがそうさせるのだろうか。

おかしい話もある。元妻の祖母は高校の教師でそれなりの教養もあり文化度の高い人だった。しかし南部という土地柄もあったのだろう、よく「あのカラードボーイ」とか言っていたので、「僕もカラードだよ」と7分目本気、3割”名誉白人”気分で言うと、「スマートな日本人は違う」ときた。「私は中国人じゃない」はお婆ちゃんに洗脳されてしまったその名残りかもしれない。まあ、あの頃はトヨタ、ソニー、その他家電メーカーなどに代表される”テクノ王国日本”経済発展国日本だったことが、お婆ちゃんの理屈の根底にあった。

また少し穿って思うのだが、日本のメディアも滑稽だ。外国に住んでいる日系人が何らかの貢献で受賞をしたり話題になると、国籍がどこだろうが、日本人名がついていると、いかにも日本人の誇りのような都合の良い取り上げ方をしている。彼らは日本で生まれたかもしれないけど、多くはその専門分野でのやりづらさを感じて外国籍を取ったという経緯もあるにはあるようだから、いつも少なからずの違和感を持つ。 ナカムラシュウジ氏がノーベル賞受賞以後、日本の二(多)重国籍取得の動きも出てきてはいるが、二(多)重国籍を許容する75%の国々が、自国籍を奪わない制度を採っているというのに、日本は未だ二重国籍さえ認めない上、頭脳流出を云々するってちょっと本末転倒ではないかな。 ちょっと「国籍」の話から逸れたが、これもグローバル化を謳う世界からすれば、至極当たり前のことと思われる。



[プロフィール] 1980年10月自主留学で渡米。しょうがなくNYに住み着いた、”汲々自適”のほぼリタイアライフ。


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