雑感#3 夢枕十万里
地球から月までの距離は自分で測ったことがないんですけど、天文学関連のページを見ると今はだいたい38万kmほどだそうです。日本だと一里が約3.9kmちょっとらしいので、月までの距離は十万里にちょっと足りないくらいですね。
太陽もそうですが、数字の上では天文学的な距離の存在に対して我々は色々と思いを馳せることがありますよね。月にまつわる神様や昔話も色々あって、有名な月の兎の話、かぐや姫の物語、月読命、アルテミス……数えれば枚挙にいとまがありません。
今日の雑感は物語って月みたいで素敵だなという話です。
ここ最近の感想
ようやく少し過ごしやすい気候が近付いてきて一段落という気配です。趣味で行っていた大きな作業がようやく完了して、自分の中で少し余裕ができたのもありますね。
その影響もあって将棋に割く時間を少し増やしています。最近で言えば新しく将棋クエストというアプリ内の詰めチャレというコンテンツに取り掛かりました。
30秒で実戦形式の詰将棋を解くのですが、妙手がさほど必要ない分普通の詰将棋より簡単かと思ったらそうでもありません。本で解く詰将棋は7手詰めくらいなら広くても5×5くらいの盤面で完結することが多く、いわゆる「狭い」局面の読みでいいのですが、こちらは似たような短手数でも盤面を縦横に使うことが多く「広い」局面の読みを入れることが必要になります。
どちらが簡単でどちらが難しいということはないと思いますが、要求される読みの力が違って戸惑っている感じですね。強い方はどちらでも問題なく読めると思いますが、私のように脳内盤がなくて広い局面だとすぐ読みがすっぽ抜けるタイプの人は苦労しそうです。
閑話休題
故人が夢枕に立つとよく言われますけど、あれは言い換えれば私たちが夢の中で誰かを想えるということでもありますよね。故人に限らず、会ったことのない人や現実に存在しないもの、そういった現実では手の届かないものでも夢の中、すなわち空想の世界なら手が届く。十万里の距離を私たちの想像力はものともしないわけです。
冒頭で述べたように月もその中の一つですね。実際に月に行かれたことがあるのは一握りの方だけですが、月に行けない私でも夜ごと月を間近に感じることは可能です。
感じるだけではなく、たとえば満月の夜に水面を掬えば月が手に入ります。これは一種の詭弁、あるいは空しい慰めと言う方もいるかもしれませんが、人が何かを想うための優しい考えだと私は思っています。
私は昔から誰に誘われるともなくこの考え方が好きで、実際に掬水月在手という一節があることを知った時には昔の人も同じことを考えていたんだなとなんだか素敵な気分になりました。
私が物語を好きなのもこのあたりに根差しているのかもしれません。小説、漫画、映画、歌、ゲーム……媒体やジャンルを問わず、ストーリーのある作品はどれでも好きです。(ホラーは怖いので物理的に苦手ですが)
それはたぶん、物語というものが自分じゃない誰かが作り上げたその人だけの世界、その人独自の月だからだと思います。もちろん物語には作者様の考えも多かれ少なかれ混じっているのですが、この月はきっとそれだけで光ることはできません。じゃあ何が月の光なのかと言われるとちょっと答えを持っていないのですが、私はその言葉にできない素敵な光を求めて物語の水面に触れている気がします。
なんか内容のないふわっとした話になってしまいましたが、もし私と似た感覚の方がいらっしゃったらとっても嬉しいです。
読んでくださってありがとうございました。次回があればどうぞよろしくお願い致します。
(将棋クエスト以外の画像は「写真AC」様のフリー素材を使用させて頂きました。素敵な画像をありがとうございます)
前回の雑感は↓