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19日目・絵の話

前提として幼い頃から絵を描いていて、幼馴染にインターネットの世界を教え込まれた結果オタクと化した経緯がある。

小学生の時には絵を描いたりゲームが好きだったりニコニコ動画を見るような友達と楽しい時間を送り、中学校に入った後ではストレス発散を目的に絵を描くようになった。人に見せるようなことはあまりせず、怒り任せに感情を紙にぶつける。数冊の百均のらくがき帳に当時の鬱憤が全て抽象的に記されている。

幼い頃、描き終わったスケッチブックを捨てようと思った所を父に「成長の記録になるから残しておきなさい」と言われたことがある。以来、全てのスケッチブックを保存している。正直幅の取りようがすごいけど、そう言ってもらえなかったら今までの絵は全て捨てていたに違いないので感謝している。

2019年、Twitterを始めた。今までイラストは検索エンジンの画像欄やpixivで閲覧していた。正直それで満足していたので、わざわざTwitterで絵を見る必要があるのだろうかと初めは疑問に思っていた。が、気づいた。Twitterで見ると1枚1枚のイラストの重みが違う!と。

Twitterログのイラスト集を40枚まとめて見る10分と、1日1枚見る重みの差、同時に受け取るのではなく少しずつ不定期に投稿されるイラストをじっくり眺める数分は永遠に思えるくらいだ。

Twitterでは、新規絵が出る度にTLが湧き、直後にファンアートを投稿する人もいる。その上キャラクターの誕生日を盛大に祝う文化に本当に驚いた。フッ軽すぎる。そして絵が上手い人が多すぎる。働いて学校行って帰ってきてから絵まで描いてる人がいる。信じられなかった。

今までイラストだけ見ていた時とは異なり、絵を描く人の形を見ることができるのがとても楽しい。それと同時にみんなそれぞれ本当に絵を描くことが大切なんだなということも沢山感じた。

当時私は絵をインターネットに載せることは全くしていなかったんだけれど、同じコンテンツが好きな相互フォロワーが誕生日や記念日毎にイラストを載せているのを見て、「私もやらないといけないのかな」と強迫観念を感じ、アナログで描いたイラストを載せたり載せなかったりするようになった。

そして2020年春、希死念慮により自由入院病棟に入院。外に出られないので、めちゃくちゃ暇な3週間を送ることとなった。毎日夕方に行われていた小池都知事の感染者数の会見をニコニコ生放送で欠かさず見るくらいには暇だった。

私は退院祝いに液タブをプレゼントしてくれとめちゃくちゃゴネて、念願の液晶タブレットを手に入れることとなった。ごめんなさい、でも本当にありがとう。お陰様で毎日お絵描きが楽しいよ。

この後、デジタルの難しさに打ちひしがれたり、絵が上手い人と同じ環境で描けるようになって、絵が上手い人は本当にめちゃくちゃ絵が上手いことを身をもって体感する事となる。私が楽しく絵をかけるようになるのはもう少し先の話だ。

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