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組織に無意識は存在するか?〜「べき」を使わない倫理観

普段「組織」に属して労働をしている我々にとって、組織というものにどのように対峙するかというのは悩みどころなわけで。最近ずっと考えているのが、人に無意識が存在するように組織にも「無意識」が存在するのではないか、ということ。これはスピリチュアルな集合的無意識ではなく、その組織の文化のようなもので。
組織の中のさまざまなコミュニケーション・振る舞いの中で「何となく」その形式を強制されているような気になっていることがある。このようなときにはこう振る舞うべき、この人にはこのように聴くべき、このときの声量はこのくらいにすべき・・・。
だいたい組織内の会話について「べき」が出てくるときはこのような無意識が動き出していることが多いように思う。「べき」について語るとき、恐ろしいくらい生身の感情や思いをすっ飛ばして、無意識によって操られている。

上記の本を読んで、人のコミュニケーションにおいて「べき」を使わない方法について詳しく述べられている。

1 観察
2 感情
3   ニーズ
4   リクエスト

上記の流れ「べき」が出てくるときにその論理を分解し、「どのようなニーズに基づいているのか?」ということを徹底的に問いかけて解析している。この考え方は非常に面白く、汎用性が高い。
誰かが「べき」を言い出したときに、注意して観察してみることにする。この人はどのような感情とニーズに基づいて「べき」を言い出したのか? 課題を解決するにあたって、ルールによって「強要」しようとしていないか?自分も含めてこういう問いをもって、組織で人と関わってみよう。

組織の無意識を良い「企業カルチャー」にするか、組織の「棺桶」にするか。この方法で徹底的に問いかけることがその答えを出すヒントだと思う。


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